メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本は何処で道を間違えたのか?

SNS上の投稿を読んだだけで、何処まで理解できているのか心許ないが、韓国・朝鮮の研究で知られる政治学者の木村幹氏によると、伊藤博文は当初より朝鮮に対して高圧的な態度で臨んだため、朝鮮の人々から嫌悪されたという。詳しくは木村幹氏の著作である「高宗・閔妃」を読んでみなければならないだろう。

私は伊藤博文に結構魅力的なものを感じていたので、少なからず残念に思ったけれど、以下の「日本と韓国の不幸な関係」という駄文にも記したように、伊藤博文は弱冠22歳で渡英しており、まさしく「脱亜入欧」の見本みたいな人物であったのかもしれない。

交流のあった欧米人の多くは、伊藤博文の人柄に好感を持っていたことが伝えられている。つまり、欧米人に対しては謙虚であり、朝鮮や中国の人たちを相手にすると傲慢になる「日本人」の先駆けのような存在だったのだろうか? これでは実に残念であるとしか言いようがない。

昭和の太平洋戦争に至る道は、既に明治維新の段階で決定づけられていたような気もする。

日本は西欧に倣った国作りを目指し、植民地を獲得する競争にも加わって行く。こうして予選を勝ち抜き、その後も勝ち進んでいけば、当然、最後は決勝戦を迎えなければならない。それが「太平洋戦争」だったのではないかと思う。

回避するためには、競争から下りて、朝鮮・台湾を手放さなければならなかったはずだが、果たして当時の状況で可能だっただろうか?

しかし、明治維新後の性急な西欧化によって富国強兵を図り、日清・日露と勝ち進んだからこそ日本は植民地化を免れたと主張する人たちもいる。過ぎ去った歴史を「たら・れば」で考えてみても仕方ないかもしれない。

伊藤博文を始めとする当時の日本人が精一杯頑張ったのは確かだと思う。明治維新から太平洋戦争に至る時代は、もの凄いエネルギーに満ちていた。それを可能にする何某かの「精神」が日本の社会に潜んでいたのではないか。

太平洋戦争という「決勝戦」に突き進んだ人たちを私たちは簡単に批判したりするけれど、敗戦後には少なからぬ軍人たちが自決を遂げた。中には切腹して果てた人もいる。そこには凄まじい精神の高揚があったように思われてならない。

戦後の復興の礎を築いたのも、その「精神」の中で育った人たちだった。

その後の平和と繁栄の中で、日本の社会はそういった「精神」を失って行ったかもしれない。私たちは再び立ち上がることが出来るだろうか? 

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