メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「辛格浩」と「重光武雄」

福沢諭吉は「文明論之概略」の緒言で、当時の洋学者たちが以前は悉く漢学の徒であり神仏者だった事実を指摘して、「あたかも一身にして二生を経るが如く,一人にして両身あるが如し」と述べている。明治維新を境にして日本は大きく変わり、まるで二つの人生を経験するかのようだったということなのだろう。

おそらく、1945年に「解放」された韓国でも同様の事態が生じていたはずだ。それまで「日本人」として、日本語で学問を修め、日本語で思考を組み立てて来た人たちが、突然、韓国人になってしまったのだから、その衝撃は明治維新で日本人が経験したものより遥かに大きかったかもしれない。

日本統治時代、日本の新聞社で日本語の記事を書いていた人が、独立後に韓国語で記事を書かなければならなくなり、当初は日本語で記事を書いてそれを韓国語に訳していたという話を何かで読んだ覚えがある。

「漢江の奇跡」を成し遂げた韓国の政治家や財閥創業者たちは一様にそういった変遷を経て来たに違いない。先日亡くなったロッテの創業者、辛格浩氏などは日韓の双方で事業を展開し、まさしく「一人にして両身あるが如し」だったような気がする。

辛格浩氏は80歳代の後半に至るまで、日韓双方の事業を統括するため、毎年、奇数月を韓国で、偶数月は日本で活動していたという。韓国では「シャトル経営」などと呼ばれていたそうだけれど、それは「辛格浩」と「重光武雄」という二人の人間がいなければ成し得なかった壮挙ではないだろうか。毀誉褒貶はあっても、氏は充実した二つの人生を全うしたように思える。