上記のユーチューバーの若いトルコ人女性について、私は「世俗的」と表現したけれど、スカーフを被っている母親と姉の様子を見ると、家族の保守的な傾向は明らかであり、彼女自身のイスラム信仰もトルコの標準からすれば、わりと熱心な部類に属しているかもしれない。
トルコでは、既に宗教が「社会の問題」ではなく「個人の問題」になっている。
2016年頃、それまで「中央アジアから来たトルコ人」を自称し、無宗教を主張していた友人が、平然と「トルコ人というのはオスマン帝国のイスラム教徒のことだよ」と言い始め、自分たちの宗教も認めてしまったので驚いたけれど、これは決してイスラム化を意味していないと思う。
かえって、無宗教を主張していた頃の友人は、あまり「世俗的」でなかったような気もする。
イスラムと政教分離主義の対立という社会問題の中で、彼は政教分離主義者であることを絶えず強調していた。対立の解消と共に、その緊張が解かれて楽になったのではないだろうか?
そもそも、宗教を認めたと言っても、それは「酒を飲んで礼拝をしないイスラム」なのである。
ユーチューバーの女性に代表される新しい世代は、もともとそんな対立や緊張とは無縁だっただろう。その辺りがとても「世俗的」であるように感じられる。