1991年、トルコはイズミルのエーゲ大学が運営していたトルコ語教室で学んでいた頃、同じ教室にいたオランダ人女性の発言に軽いカルチャーショックを感じた。
オランダの貴族を自称するその女性は、「大統領も大工や肉屋と同じトルコ語を話しているから、トルコの文化は低い」と言ったのである。
もちろん、文化的に洗練されたトルコ語の言葉使いもあれば、少々野卑な言葉使いもある。これは日本でも変わらないだろう。
しかし、オランダでは階級によって使用するオランダ語自体に相当な違いがみられるらしい。
彼女に、トルコ語と余り変わらない日本語の使われ方を説明したところ、「それなら日本の文化も低い」と言われてしまったけれど、日本も江戸時代までは階級によって相当に異なる言葉を話していたはずである。それを明治以降、四民平等の観点から平準化に努めたのではないだろうか?
そういった経緯はトルコも同様だったに違いない。オスマン帝国の時代、宮廷では庶民の話すトルコ語とは異なるオスマン語が話されていたそうだ。
もっとも、オスマン帝国は「羊飼いの子が大臣になれる国」と言われていたくらいで、階級はそれほど明確になっていなかったらしい。それでも、立身出世を遂げた人々は格式の高いオスマン語を身に着けて行ったのだろう。
オスマン帝国の後を継いだトルコ共和国が、やはり平等の観点からトルコ語の平準化を図ったのは言うまでもない。私には、オランダのほうがよっぽど古くて遅れた社会じゃないかと思えてしまった。
さて、最近、各国の古い映画(殆ど米映画だけれど・・)をトルコ語の字幕や吹替で視聴できるサイトを発見して、懐かしい映画をトルコ語の吹替で楽しんでいる。
先日はそのサイトから以下のように「ローマの休日」を観ることができた。
最後の記者会見の場面で、王女に質問する記者たちの言葉使いに注意すると、元の英語でも「Your Highness」と三人称ではあるけれど、トルコ語でも「ご訪問された都市の中でどこが一番お気に召されましたか?」という記者の問いが「Prenses hazretleri ziyaret ettikleri hangi kent daha çok beğendiler?」と見事に三人称複数になっている。
記者は王女の顔を見ながら質問しているにも関わらず、二人称は用いず、あくまでも三人称で呼びかけているのである。
もちろん、これは英語からの翻訳に違いないが、かつてはそういう言葉使いがトルコ語(オスマン語?)にもあったということだろう。
しかし、現在のトルコで、この言い方を使う機会は全くないと言っても良い。その対象となる王族も貴族もいないからである。