メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

失地回復への熱望?

トーマス・マンの小説「魔の山」には、サナトリウムのベーレンス顧問官がトルコ・コーヒーで客人をもてなしたり、臨終間近の患者に塗油式を行う司祭らが掲げる十字架を「オスマン軍楽隊」の「シェレンバウム(çevgen / tuğ)」に擬えたりする場面が出て来る。

魔の山」が記されたのは第一次世界大戦を前後する時期であり、その頃、オスマン帝国は既に滅亡の危機に瀕していた。果たして当時、西欧の人たちはオスマン帝国とその文化をどのように認識していたのだろう?

トルコ・コーヒーはともかく、塗油式の十字架をオスマン軍楽隊のシェレンバウムに擬えるところには、多少不吉なイメージもうかがえる。

また、主人公カストルプ青年の従弟である軍人のチームセンが、サナトリウムから出て軍務への復帰を願い出ると、ベーレンス顧問官は完治した後で復帰するように勧めながら、「そうすれば貴方はコンスタンティノープルさえも征服できる」などと語りかけている。

いずれにせよ、あまり良いイメージを持っていなかったのは確かなようだ。「コンスタンティノープル征服」といった言葉には、西欧の「失地回復への熱望」も感じられてしまう。

オスマン帝国による「コンスタンティノープルの陥落」は1453年のことだが、考えて見ると、新大陸を除く世界の主だった歴史的な都市で15世紀以降に居住する主要な民族が入れ替わったのはコンスタンティノープルエルサレムぐらいであるような気もする。

これも「失地回復への熱望」が今でも消えてなくならない背景にあるかもしれないけれど、それなら新大陸はどうなってしまうのか?

そもそも、現在のイスタンブールを再びギリシャ正教徒の都にしようとしたら、バルカン半島から中東にかけての地域は未曽有の大混乱に陥るだろう。可能なことであるとは全く考えられない。いい加減に現実を認めて妙な熱望は捨ててもらいたいと思う。