最近、テレビ時代劇の「水戸黄門」を観る機会が何度かあった。いずれも里見浩太朗が黄門を演じていたから、最後のシリーズの作品ではなかったかと思う。それでも、10~15年前に放送されたものだろう。
観ていて『おや?』と思ったのは、劇中でまず人が死なないのである。
私は小学生の頃に「水戸黄門」を良く観ていた。1970~72年ぐらい、黄門は東野英治郎だった。
当時は、劇の途中で善人たちも非業の死を遂げる場面がしばしばあったと記憶している。その場面ではお決まりの悲痛なメロディが流されるのである。
もちろん、悪人たちの多くは最後に派手に殺されてしまう。
ところが、その最近観た「水戸黄門」では、悪人たちも「追って沙汰がある」とか言われるだけで、彼らが殺される場面は出て来なかったりするのだ。
善人が死なないのは言うまでもない。だから、あの悲痛なメロディが流されることもない。
「童話や昔話の残酷な結末がハッピーエンドに書き換えられている」という話は聞いていたけれど、大人の観る時代劇までとことんハッピーになってしまったらしい。
これでは、非現実の時代劇より、現実の世界がもっと恐ろしく思えてしまいそうである。
先日、以下の駄文に、「トルコはEU加盟交渉の過程で去勢されそうになっていた」なんて話を書いたけれど、誰も死なない「水戸黄門」では、黄門様も去勢されてしまったようなものじゃないかと思った。
しかし、考えてみると、時代劇の話はともかく、戦後ずっと米国に守られて来た日本は、国そのものが去勢された状態ではないだろうか?
さらに、少子化の要因になってしまった私みたいな男は、比喩的な意味ではなく、それこそ生理的に去勢されたのも同然であるかもしれない。