メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

今朝の秋:「多少の前後はあっても皆死ぬんだ」

YouTubeに「今朝の秋」がアップされていたので、冒頭の主題曲でも聴いてみようかと思ったら、結局、最後まで観てしまった。

1987年の制作であるけれど、私は98年頃の再放送で観たのではないかと思う。

その後も2010年頃だったか、YouTubeに10回ぐらいに分けてアップされていたのを録画して何度か観た。おそらく、今回観たのは4~5回目になるだろう。

何度観ても、そのたびに感動を新たにしている。笠智衆杉村春子のそれぞれの人生の重みを感じてしまうような演技が凄い。主題曲も素晴らしい。

主題曲は2度目に観終わった後も耳に残っていて、もう一度クレジットを見て確認した。作曲は武満徹だった。制作者の並々ならぬ意気込みが感じられるような気もする。

作監督は山田太一で、この作品は小津安二郎へのオマージュとして制作されたらしい。

男が出来た妻に去られてしまうという設定は「東京慕色」を思わせる。「今朝の秋」の父(笠智衆)と子(杉浦直樹)は、なんと二代にわたって妻に去られてしまうのである。

「東京慕色」では、笠智衆演じる銀行員が京城(ソウル)出向中に、妻が男を作って出て行ったことになっていたけれど、この「今朝の秋」でも、癌で余命3か月という主人公(杉浦直樹)の子息はソウル支社へ赴任したばかりという。

時代背景を考えると、「今朝の秋」の主人公の父(笠智衆)は、「東京慕色」の銀行員とほぼ同じ年齢になるから、「東京慕色」のその後というような意識はあったのかもしれない。

それにしても、山田太一は「岸辺のアルバム」でも妻に浮気されてしまう男(杉浦直樹)を描いているし、本人も女心が解らずに苦労した人なのだろうか?

数多の美人女優を見出しながら、未婚のまま60歳で亡くなった小津安二郎は何となく恋愛に不器用な人だったような気がするけれど・・・。

「今朝の秋」で癌におかされた53歳の主人公は、病名を告知されていないものの、30年近く前に男を作って出て行った母親(杉村春子)が、突然、お見舞いに現れたり、蓼科から上京して来た父親(笠智衆)がなかなか帰らなかったり、男が出来て別れ話も進行中の妻(倍賞美津子)が「別れたくない」と言い出したりしたため、『もう長くないんじゃないか?』と思い始める。

その後、父は子に事実を告げ、病院から蓼科へ連れ出してしまう。蓼科で父と子が夏の終わりの美しい庭の木々を眺めながら交わす会話は、劇中で最も大きな山場の一つであると思う。

父「案外、わしのほうが(死は)早いかもしれん」

子「そんなことはないけれど・・・」

父「多少の前後はあっても皆死ぬんだ」

子「そうですねえ、皆死ぬんだよねえ」

父「(だから)特別のような顔をするな」

子「言うなあ、ずけずけ。しかしねえ、こっちは未だ50代ですよ。お父さん80じゃない。少しは特別な顔するよ」

この場面でも、父を演じる笠智衆は威厳と慈愛に満ちた表情を崩すことはなく、涙一つ流さない。そもそも笠智衆には、小津安二郎監督から「泣く演技」を要求されても「明治の男は泣かない」と言って断ったというエピソードが伝えられているくらいだ。

おそらく、「明治の男」は泣きもしなければ、余命を知らされても特別な顔など見せないまま死んで行くのだろう。

笠智衆は「今朝の秋」の1987年に83歳、93年に88歳で亡くなっている。遺作は亡くなる3か月前に公開された「男はつらいよ 寅次郎の青春」だったそうだ。実際、特別な顔などする間もなく、慌ただしく世を去って行ったのではないかと思う。

*訂正:「東京慕情」✖→「東京暮色」

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