メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

魔の山

少しずつ読み進めていたトーマス・マンの「魔の山」(岩波文庫)をようやく読了した。もっとも、確かなのは「ページを捲って最後まで行き着いた」という事実だけかもしれない。余りにも難解なため、何処まで「読めた」のか甚だ心もとない。

私は小説を読むのであれば、大概、「解説」など飛ばして直ぐ本文に入っていたけれど、「魔の山」に限っては、まず「解説」を良く読み、それから本文のページを捲った。そして、昨日、やっと全4巻を捲り終えたのである。

魔の山」は、およそ100年前、アルプス山中にあった結核サナトリウムを舞台にしている。ドイツ人の青年ハンス・カストルプが、このサナトリウムで7年間を過ごし、どのような心の変遷を遂げて行くのかが描かれた。

カストルプと共に設備の良いサナトリウムで療養している人たちは、働かなくても滞在費の捻出に困らない富裕者ばかりだが、もちろん病状の差こそあれ皆結核を患っている。そのため、登場人物は次々と亡くなって行く。カストルプの従弟のチームセンもここで壮絶な男らしい死を遂げる。

その中で、カストルプはロシア人のマダム・ショーシャと肉体関係を結び、一旦サナトリウムを離れた彼女の帰りを待ちながら、軽症であるにも拘わらず、サナトリウムから去り難くなる。

その後は、従弟の死、マダム・ショーシャとの離別を経て、次第に無感覚な状態に陥り、年月の経過も忘れて7年を過ごしてしまう。そういうカストルプ青年を教育しようとする啓蒙主義者のセテムブリーニは、青年に親しみを込めて「人生の厄介息子」と呼ぶ。

そして、「解説」では、このサナトリウムが「病気と死とに支配され、市民社会の義務や責任から解放された世界」と形容されていたけれど、カストルプは第一次世界大戦の勃発によって目を覚まし、その「病気と死とに支配された世界」から出ようと決意する。

それは「死の誘惑」を断ち切り、「生」を強く肯定するようになる過程として描かれている。しかし、「生」に目覚めたカストルプが志願して向かって行くのは、世界大戦の戦場なのである。この辺りが凄い。

結局、小説「魔の山」は、カストルプが非常に危険な最前線で勇敢に突き進む場面で終わっている。

「さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子よ! 君の物語はおわり、私たちはそれを語りおわった」と述べられている最後のページを閉じて、私は思わず「ううむ」と唸ったものの、果たして何が解ったのだろう? 

それより、解りもしない小説を読んで唸り、ここに何やら書き連ねている「人生の不徳な厄介息子」は、これからいったいどうしようと言うのか?