メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

インフルエンザの予防接種を受ける

今日、生まれて初めてインフルエンザの予防接種を受けて来た。勤務先で義務付けられているからしょうがない。

トルコでは薬局などで簡単に受けられるうえ、料金も安かったが、今日はクリニックへ行かされ、保険対象外で結構な金額を取られて驚いた。まあ、勤務先から全額支給されるので構わないけれど・・・。

しかし、インフルエンザ予防接種の有効率は30%程度に過ぎないらしい。何だか気休めのような気もする。それに、「3密回避」やら「自粛」が功を奏しているのか、昨冬からインフルエンザの罹患率はもの凄く低くなっているという。私も昨冬来、インフルエンザはおろか風邪すらひいていない。

ツイッター堀江貴文氏が、この状況は恐ろしいとツイートしていた。人間、冬になれば風邪をひいたりインフルエンザで寝込んだりするのが当たり前だと言うのである。確かに、それが自然の摂理であるかもしれない。

特に子供は、様々な菌やウイルスに接しながら、風邪をひきインフルエンザなどに罹ることで免疫力を作り上げて行くらしい。無菌室のような所で育てられたら、外界へ出た瞬間に数多の病気に冒され危険な状態に陥ってしまうそうである。

大人もインフルエンザで寝込むのは「休息」になるという話を聞いたことがある。無理をし過ぎて体が弱って来ると、免疫力も衰えてインフルエンザ等に罹ってしまうが、それで休息を得てリセットされるのだという。

体が丈夫で免疫力も強い人は、かえって無理が利き過ぎてしまい、もっと重大な病に罹るリスクもあるそうだ。「鬼の霍乱」というやつだろうか?

老衰によって免疫力が殆ど機能しなくなれば、人生そのものがリセットされてしまうということかもしれない。肺炎で亡くなる高齢者の多くは、死因を「老衰」としても構わない状態だそうである。

昨日、「フランスのジスカールデスタン元大統領がコロナで死去」などと伝えられていた。しかし、「94歳」ではコロナもへったくれもないだろう。それは紛れもなく「老衰」ではないのか?

例えば、老衰で免疫力が失われた高齢者を「無菌室」へ隔離すれば、数年延命できるかもしれないが、それにどういう意味があるのか解らない。

今、トーマス・マンの「魔の山」を少しずつ読み進めているけれど、これを取っ掛かりにして「死と生」についてまた良く考えて見たいと思う。