メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「梅は岡本、桜は吉野」

トーマス・マンの「魔の山」には、ハンス・カストルプがサナトリウムで生きる活力を失い、次第に無感覚になって月日の経過さえ意識しなくなってしまう過程が描かれていた。

私も高校を卒業して数年の間は、ただ漫然と日々をやり過ごしていたので、季節の移り変わりも気温の高低ぐらいしか意識していなかったような気がする。

そのため、夏に花の咲いた木を見ながら「あれは桜かな?」と訊いて笑われたりした。もちろん、梅と桜の区別など全く意識していなかった。春も秋も「暑からず寒からず」で同じように感じていた。

彼女でもいれば、そうはならなかっただろう。「花びらが散った後の桜が~♪」なんて歌いながら、その桜がいつ咲いていつ散ったのかも解っていない。やさしかった恋人たちもいなければ、ふり返ってみる青春の日もなかった。実に残念だけれど、今さらどうにもならない。

季節や月日の経過を極めて敏感に意識するようになったのは、おそらく2004年にこのメルハバ通信(当時はホームページ)を書き始めてからだ。44歳になっていたが、それから私はまだ青春の長い坂の何処かにいる。登っているのか、転がり落ちているのか解らないが何処かにいる。そう思うようにしている。

今日は、夜勤明けに三ノ宮から岡本へ出て、梅林公園の梅を観に行った。昨年の4月、吉野の桜を観た後で、「来年は梅から始めよう」と思ったのが実現された。でも、吉野の桜に比べたら、少し可愛らし過ぎたかもしれない。

それに、今日は春を思わせる陽気だったけれど、まだ時期が早くて満開にはほど遠かった。2月の末ぐらいにまた何処か考えてみよう!

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