メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「生きる」

黒澤明監督の映画「生きる」の冒頭では、30年間役所に勤め続けながら、ただ漫然と時間をやり過ごして来た主人公が「彼は生きているとは言えない・・・死骸も同然だ」と紹介されている。

映画は、この主人公が「胃癌で余命数ヶ月」と知ってから、最後に何かやり遂げようと奮起する姿を描く。主人公はそこで初めて「生きる」のである。

小説「魔の山」の主人公ハンス・カストルプも、漫然と時間をやり過ごし、年月の経過さえ意識しなくなった「サナトリウム」から出て初めて「生きる」のだけれど、彼が向かった先は第一次世界大戦の戦場であり、そこには「死」が待ち構えている。

この「漫然と時間をやり過ごし、年月の経過さえ意識しなくなった状態」は私も何となく解るような気がする。高校を卒業してから数年の間、私はまさしくそんな状態だった。

「何をしたいのか解らない」というより、何もしたくなかったのかもしれない。それでも、直ぐに運転免許を取り、「運転手」という職業を選んだのは、それが最も手っ取り早く一定の給与を得られる仕事だったからだ。

最低の生活をする以上に、ある程度の収入を確保しようとしたのは、それで少なくとも「性欲」を処理しなければならないと思っていたのである。つまり、当時の「トルコ風呂」、後の「ソープランド」へ行く資金が必要だった。

その間も、恋心を感じた女性はいたが、いきなり「愛の告白」みたいなので迫って終わりになった。はっきり「困ります」と言われたこともある。でも、仮に相手が肯定的な反応を見せたら、私の方が困ってしまっただろう。

その後で、どうやって恋愛するのかなんて全く考えていなかった。実現可能な恋のために迫ったのではなく、一応言っておかなければ踏ん切りがつかなかっただけである。

しかし、今から考えて見ると、あんなに性欲で悶々としていたのは、それだけのエネルギーがあったという証に違いない。恋愛する相手がいれば、そのエネルギーを燃やして存分に「生きる」ことができたかもしれないけれど、当時の私は、おそらく「生きているとは言えない」状態だった。

いつも漫然と時間をやり過ごし、年月の経過も余り意識していなかった。20~22歳の頃、それから未だ40~50年も生きて行くのが途方もないことのように思えた。首を吊る根性もなく、「そんな長い年月をどうやってやり過ごすのか」なんて呆然としていた覚えがある。あの頃の私は、やはり生きていなかったと思う。

映画「生きる」の中で、主人公の奮起の裏に「色恋」があったのではないかと疑われる場面が出て来るけれど、単なる性欲ではない強い恋愛感情は、当時の私にも「生きる」動機をもたらしてくれただろう。

マスクで顔を覆ったり三密回避など続けていたら、強い恋愛感情も湧かなくなりそうだ。それは若い人たちの「生きる」動機を奪ってしまうのではないかと心配になる。