メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「高島忠夫さんのラジオ番組~ 戦前の神田駅」

《2011年4月16日付け記事を修正して再録》

私は20歳ぐらいの時に、40歳を過ぎた中年が若い頃の思い出をつい昨日の出来事のように話しているのを見て、『よくそんな下らないことまで覚えているもんだなあ』とか『このおっさんに20歳の時代なんてあったのかなあ』なんて不思議に思っていたけれど、今、自分が60歳になってみると、これは不思議でも何でもない。

20歳の時代どころか、高校や中学の頃まで、鮮明に思い出せる。20歳過ぎてからの記憶などは、ついこの前の出来事みたいだ。

2tトラックで配送の仕事をしていた22歳の頃、トラックを運転しながら良く高島忠夫さんのラジオ番組を聴いていた。その番組にリスナーの思い出話を高島さんが電話で聞くコーナーがあって、ある日、声だけ聴くと未だ40代ぐらいに思えるリスナーの男性が、戦前の思い出話を昨日の出来事のように語りだした。

男性は、戦前に国鉄の神田駅で駅員をしていたと言うから、当時が1982年頃として、おそらく60歳にはなっていただろう。40年前の神田駅で、女優の高峰秀子さん(高峰三枝子さんだったかも)から電車の時間を尋ねられた一件を嬉しそうに話していた。

それは、ちょっとうろ覚えだが、以下のような話である。

男性が終電間際の山手線のホームに立っていると、高峰さんが近づいて来て、中央線が未だあるかどうか尋ね、男性は終電が迫っていたので、少し躊躇ってから、「中央線のホームはあちらです。お急ぎになれば間に合うと思います」と答えたところ、高峰さんはホームの階段を降りて行ったものの、結局、間に合わなかったという。

男性が語る戦前の神田駅は、私が知っている神田駅と余り変わりが無いように思えて、男性の活き活きとした語り口に、電車が発着する光景や、階段を下りていく高峰さんの姿までが目に浮かぶようだった。

考えて見れば、戦前と戦後で、日本の社会や人々の様子が180度変わってしまったはずもない。父や母の話を聞いて、そんなことは解りきっていたのに、何となく、戦前というのは全く違った世界だったような気がしていたから、この神田駅の話はとても新鮮に感じられた。戦前を別世界だと思わされていたのは、戦後教育とやらの所為だろうか? 

高島忠夫さんも、時おり合の手を入れながら、楽しそうに聞いていたけれど、1930年の生まれだから、当時52歳ぐらい、この話の時代には12歳ぐらいで、神田駅の光景などを鮮明に思い出しながら聞いていたかもしれない。

私は今60歳で、12歳の頃に見た神田駅の様子を思い出しても、国鉄がJRに変わったり、車両等が入れ替わったりしただけで、それはやはり同じ神田駅である。その変化を少しずつ見てきたから、それほど激しく変わったようにも思えない。

もちろん、私たち世代の場合は、その頃も“戦後”で今も“戦後”なわけだけれど、当時の高島さんが、12歳の頃に見た神田駅を思い出しても、やはり同じ神田駅で、戦前も戦後もなかっただろう。

私たちは、歴史へ勝手に切れ目を入れられて、何だか騙されてきたような気もする。