メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

沖縄の問題~クルドの問題

もしも沖縄の人たちが、この駄文を読んでいたとしたら、かなり不愉快に思う人も少なくないのではないかと恐れる。「我々の独立の主張をもっと真摯に取り上げてくれ!」と憤る方もいるかもしれないが、それとは真逆に「我々も普通の日本人である」と抗議する方もいるだろう。クルドの人たちにとっても同様の不愉快な感情や意見の対立が生じるのではないかと思う。

実際、以下の駄文については、その概略を読んだクルド人の友人から抗議を受けた。「我々の主張は、これとは別次元のものだ」と言うのである。

この駄文の概略が友人の目に留まった経緯はちょっとややこしい。

2003年から2011年まで、私はトルコの新聞のコラム記事をせっせと日本語に訳しながら、かつてのメルハバ通信のホームページに掲載したりしていた。そして、僅かながら、そういったコラム記事の筆者に、日本語訳を掲載した旨と共に所感をメールで書き送ったりした。

例えば、以下の記事を日本語訳してから、上記の駄文の概略をトルコ語訳して筆者のテュルケル・アルカン氏に送ったこともある。

すると翌日、そのトルコ語訳が校正を経て見事なトルコ語の文章となった上で、テュルケル・アルカン氏のコラムに掲載されていたので驚いた。

テュルケル・アルカン氏は既に故人となられ、ラディカル紙も廃刊になって久しいが、コラム記事の数々は今でもネット上から閲覧することができる。

トルコのメディアはとても有難い。お陰でその記事も以下のように未だ読むことができる。

記事が掲載されてから数日後、友人は「こんな記事が出ている」と言って、ラディカル紙の紙面を示したので、「それを書き送った日本人というのは私だよ」と明かしたところ、彼は「えっ? 君だったのか?」と驚き、それから勢い込んで「クルド問題」を語り始めたのである。もっとも、駄文の内容が真実を反映していないという抗議はなかった。「トルコ人」がエスニック的な民族とは言い難いことを彼はもとより認めていた。しかし、自分たちの主張は別次元のものだと言いたかったようだけれど、明らかに興奮していた所為か、その論旨は不明瞭で、私には彼が何を言いたいのか良く解らなかった。

彼は興奮が収まると、共通の友人の名を上げ、「ハリルにはこの話をしないでくれ」と頼んだ。ハリルさんがその主張を聞いて気を悪くするとは思えなかったものの、了解して約束したところ、彼は安堵したように笑みを浮かべた。

彼の「クルド問題」の主張を聞いたのはこの時だけだった。いつ会っても、そんな話はしたことがなかったから、私も少し驚いていた。

あれから既に15年が経過している。その間に「クルド問題」は幾度も大きく変容した。果たして、今会ったら彼は何を語るだろうか?