メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

関係改善、次はエジプト、その次は?

トルコ政府は、イスラエルとロシアに続いて、いよいよエジプトとも関係改善に乗り出すらしい。チャヴシュオウル外相は、話し合いの準備が出来ていると語ったそうである。今後はシリアのアサド政権に対しても、より柔軟な姿勢を示すのではないかと囁かれている。

わずか10年ほど前、現AKP政権のもとでトルコは、積極的に近隣諸国との友好外交を進め、長年にわたって敵対していたシリアとは劇的な歩み寄りを見せていた。

しかし、シリアで内乱が勃発してから、状況は一変する。トルコは、アメリカに押されてシリアの反体制派を支援し、反アサドの急先鋒に立つ。ところが、背中を押したアメリカは、結局シリアに介入せず、トルコだけ最前線に取り残されてしまったかのようだ。

この難局を打開すべく、エジプトとも関係改善を図ったり、アサド体制への強硬な態度を改めたりしたとしても、それは、自らの強い意志で進めていた以前の友好外交と同じものじゃないだろう。

振り返って見れば、未だシリアとの歩み寄りが続いていた2007年の総選挙で、AKP政権は、さらに積極的な外交を進めて、国際社会の中で経済的な発展を目指すと訴えた。

対する野党のCHPは、非常に排外的で内向きな姿勢を見せる。当時、シヴァス県の宿で相部屋になったCHP支持者の主張は、まるで“鎖国論”のように思えた。

「日本ように勤勉で賢い国民がいれば、諸外国と競合して行くことも可能だが、この国には愚かな怠け者が多いから、外国資本の食い物にされてしまう。しかし、我が国は日本と違って国土が広く豊かだ。国を閉ざしても充分やっていける」

実際、トルコは、80年代にオザル首相が開放経済へ舵を切るまで、非常に閉鎖的な国家体制だったらしい。その後、紆余曲折を経て、AKP政権により再びオザル首相の路線が継承されたという。

現在の困難な状況を見て、「国を閉ざしても充分やっていける」と主張した彼は、『だから言わんこっちゃない』と思っているかもしれない。しかし、一度開け放たれた扉を再び閉ざすのは無理だったに違いない。90年代、トルコは既に後戻りの出来ないところまで来ていただろう。

AKP政権が推し進めた積極的な友好外交とその後の強気な対策は、結果として、巧く行かなかったけれど、状態が悪化する前に引き返して修正を図る柔軟性は、なかなかじゃないかと思う。