メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

不安に駆られる保守層

昨日(日曜日)、サバー紙のコラムで、エムレ・アキョズ氏が、ヴォルカン・エルティト(Volkan Ertit)という社会学者の新著「不安に駆られる保守層の時代」を紹介していた。
アキョズ氏の解説によれば、一時期、生活スタイルへの干渉を恐れるモダンな人たちの不安が熱心に取り沙汰されていたけれど、実のところ、現在、生活スタイルの変化に不安を感じているのは保守層の方ではないのか、とヴォルカン・エルティト氏は論じているらしい。
確かに、難しい理屈を考えることなく、イスタンブールの街角や人々の様子を眺めた場合、この10年ぐらいでも、世俗的な雰囲気がますます広がってきたように感じられる。
既に、スカーフをきっちり被った敬虔そうな女性の“路チュー”ぐらいでは、私も驚かなくなった。
カドゥキョイの広場では、以前から、何かの勧誘なのか、若い女性だけに声をかける派手な若者たちの姿が見られた。訊いてみたわけじゃないが、彼らは個人的なナンパというより、ある種の仕事で声をかけているようだ。
先日、そういうナンパ青年が、スカーフにロングコートの敬虔そうな若い女性2人連れにも、5~6歩行く手を遮りながら何やら話しかけていた。女性たちはケラケラ笑いながら手を振り、足早に去って行ったが、こんなのは、もう当たり前な光景なのだろうか?
かつては、日本人の女性が、イスタンブールでしつこくナンパされるのをシャットアウトしたかったら、きっちりスカーフを被ってロングコートでも着れば良かったけれど、今やこれも有効な手立てとは言えなくなってしまったようである。
2011年の1月、著名なイスラム法学の権威ハイレッティン・カラマン教授が、“世俗化と信仰の劣化”といった内容の記事をイェニシャファック紙に書いて話題になっていた。
ここでカラマン教授は、「・・・イスラムにおける不変なものを変えない限り、それをリベラルな政教分離デモクラシーに合わせることは不可能である。この為、もしもそういった体制で生きなければならないのであれば、信徒たちは、信仰とその見解を守りながら、実践は可能な範囲内で行うのである」と持論を展開していた。
この為、政教分離主義者の中には、『イスラム化が始まる!』と戦慄を覚えた人もいたようだが、あれから4年経った今になって思えば、不安に駆られていたのは、確かに保守層の方であるかもしれない。
4年の間に、政教分離と相容れないイスラム化などは、その兆候さえ見られなかったものの、カラマン教授の恐れた“世俗化と信仰の劣化”は、着々と進んでいるような気もする。
2013年の11月には、当時のエルドアン首相が、「寮に入れない男女の学生同士がアパートの部屋をシェアしているのは由々しき問題」などと演説し、さらに「男女の学生が部屋を借りられないよう法的な処置を検討すべき」みたいなことをぶちあげたものだから、世俗主義者が反発して騒然となっていた。
これには、エルドアン首相が保守層の基盤を固めるために、わざと反発を誘ったのではないかという説も聞かれたけれど、ある識者は、「最初の発言は、社会の早い変化に不安を感じているエルドアン首相の本音だったのではないか」と述べていた。
やはり、「不安に駆られる保守層の時代」なのだろうか?