メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

陰謀論

 1960年5月の軍事クーデターで処刑されてしまったメンデレス首相は、長らく「独裁者」の烙印を押されてきた。
しかし、内乱といった状況があったわけでもないのに、クーデターで簡単に政権の座から引きずり降ろされてしまう「独裁者」が何処にいるのだろう。実のところ、メンデレス首相は、殆ど軍を掌握していなかったようである。
当時、アメリカからの経済援助を打ち切られたトルコへ、ソビエトが手を差し伸べてきたため、メンデレス首相はクーデターがなければ、7月にモスクワを訪れる予定になっていたという。
先日の討論番組で、元軍人のジャーナリストが語ったところによれば、メンデレス首相も一応は、モスクワ訪問について、アメリカへお伺いを立てていたが、アメリカからの返答は、「どうぞ御自由に・・」というものだったらしい。
それで、7月に訪問することにしたら、その前にクーデターで殺されてしまった・・・。

1993年4月に、突然、心臓麻痺で亡くなったオザル大統領も、その頃、アメリカのメディアに、「コンピューター付きで復活したオスマン帝国最後の皇帝」などと書き立てられていたそうだが、実際は自身が創設した祖国党さえも掌握できていなかった。
その中でオザル大統領は、黒海経済協力機構の立ち上げに尽力するなど、旧ソビエト連邦の領域に向けて、積極的な外交を展開しようとしていた。
そのため、トルコの保守派の間では、以前から、「メンデレスもオザルもアメリカの意向に合わせようとしなかったので消された」という陰謀説が唱えられているけれど、最近は、これにアタテュルクも加えられたりする。
アタテュルクは、米英・ソビエトと巧みに渡り合って救国戦争を勝利に導き、共和国革命以降もソビエトとの関係を重視していたという。アタテュルクは、1938年に57歳の若さで亡くなっており、戦後、トルコが西側世界に組み込まれて行ったのは、次代のイスメット・イノニュの主導によるものだった。
アタテュルクが57歳の若さで亡くなったのは、多量の飲酒による肝硬変と言われてきたが、保守派はこれを否定して、「酒は良く飲んでいたものの、常に適量を保っていた」などと言い出している。つまり、死因は他にあったというのである。
確かに、あれほど卓越した人物が、自分の健康を害するほど飲んでしまうとは、ちょっと考え難いかもしれない。
また、「アタテュルク大酒飲み」の俗説は、イスラム的な人々とラディカルな政教分離主義者との間を引き裂く格好のネタとして使われてきたような気もする。
ラディカルな政教分離主義の人たちにとって、アタテュルクは政教分離の生みの親であり、アタテュルクがいなかったら、トルコは政教分離も民主主義も成し遂げられなかったということになる。一方の保守派は、「救国の英雄」としてアタテュルクを敬愛してきた。
私はこういった歴史的な背景まで解らないが、現在の世俗的なトルコの社会を見る限り、これが一人の指導者によって一朝一夕にもたらされたという物語には、何だか疑わしいものを感じる。
オスマン帝国時代の末期に書かれた“チャルクシュ”のような小説を読むと、当時、少なくとも都市部では、既に世俗的な考えが、かなり行き渡っていたのではないかと思えてしまう。 

 だから、もしも、アタテュルクがいなかったと仮定しても、トルコは、それほど変わらない政教分離による民主主義の社会になっていたかもしれない。しかし、その前提となる独立が達成されていたかどうかは疑問である。
保守派の論調では、「アタテュルクがいなかったら、政教分離も何も、トルコは独立を達成できずに滅んでいただろう」ということになる。私もそういった論説を読んで、救国戦争のアタテュルクは、『なかなか神っていたんじゃないか』と思ったりする。
もちろんアタテュルクは、政教分離の民主主義による「新しい共和国」の象徴に違いないけれど、偉大な「救国の英雄」でもある。要はバランスの問題であるような気がする。
政教分離ばかりが強調されて、「無知蒙昧な民衆に改革をもたらした・・・」なんてやるから、人々の反発を買ってしまったのではないか?

「今、アタテュルク主義とか言ってる連中には、ミッリがない(祖国愛がない)。でも、アタテュルクにはミッリがあった。そうじゃなかったら救国戦争に勝てるはずがない。そして、アタテュルクと一緒に戦ったのは、今のアタテュルク主義者みたいな連中じゃない。我々のようなムスリムだったのだ!」
この近所の家電修理屋さんの発言も、確かにバランスを欠いているが、かつては「アタテュルクなんて大酒飲みは嫌いだ」などという“ムスリム”も少なくなかったから、一歩前進と肯定的に見たらどうだろう?
それにしても、日本の天皇は、古来より連綿と続く歴史と伝統だけでなく、新しい明治の日本も象徴しているところが凄い。トルコでは、国民の紐帯として、アタテュルクとイスラムの双方が求められているのではないかと思う。
しかし、欧米にとっては、アタテュルクの政教分離主義的な面ばかりが強調されている方が好都合かもしれない。「救国の英雄」であるアタテュルクが戦った相手は、他ならぬ欧米だからである。
それで、これは私の勝手な想像だけれど、欧米は「政教分離主義のアタテュルク」をプロパガンダしてきた。極端な政教分離主義によって、トルコ人アイデンティティーを喪失してくれたら尚嬉しかった・・・。
イスラムや「救国の英雄アタテュルク」は余り好ましくない。もちろん、ソビエトやロシアに接近するトルコなど、沙汰の限りである。
これを企てる者は、酒の飲み過ぎで肝硬変になったり、太り過ぎで心臓麻痺を起こしたりする。あるいは、「独裁者」になってクーデターで殺される・・・。ちょっと陰謀論の読み過ぎかもしれないけれど・・・。