メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

小説“チャルクシュ”

文学が解るわけじゃないし、日本の小説も余り読んでいないけれど、せっかくトルコ語を学んでいるのだから、トルコの小説をもっと読まなければと思いながら、怠けてばかりいました。
それでも、読もうとする意欲は多少あったから、文学に親しんでいそうなトルコ人と話す機会がある度に、“お勧めの小説”を訊くと、レシャット・ヌーリ・ギュンテキン(1889年生~1956年没)の“チャルクシュ”という回答が最も多かったように思います。
それで読んでみたのですが、今までに日本語で読んだあらゆる小説と比べても、これは多分、最も印象に残る作品の一つに違いありません。読み終わったばかりなのに、もう一度、最初から読み直してみたくなります。
この小説は、1922年というオスマン帝国の最晩年に出版されました。“チャルクシュ”とは、小説のヒロイン“フェリデ”の綽名で、“キクイタダキ”という駒鳥に似た野鳥のことです。
オスマン帝国の末期、イスタンブールの良家のお嬢さんだったフェリデは、父母に早く死なれたものの、裕福な叔母さんの家に引き取られ、名門校であるノートル・ダム・ド・シオン女学院というフランス系のミッションスクールを卒業しました。
在学中に、叔母さんの息子、つまり従兄弟であるカムランと婚約し、卒業後に結婚するはずだったけれど、結婚式の前日にカムランの浮気が発覚。絶望したフェリデは、婚約破棄を決意したものの、そうなると叔母さんの家にも居られなくなります。しかし、名門校を卒業して教員の資格があるから、これで生計がたてられるだろうと考え、家を飛び出してしまうのです。
その後は、ブルサ県の山奥にある貧しい村“ゼイニレル”の学校へ赴任させられたのを皮切りに、フェリデの試練に満ちた物語が展開され、これはフェリデ自身の日記という形で読者に伝えられますが、480ページ目、悲しみの中で忘れえぬカムランへの思いが切々と綴られた後に、“フェリデの日記はここで終わっていた”という注釈が入り、次の章からは、三人称でカムランの“その後”が語られ始めます。
私は、この480ページを読んだところで、ジイドの“狭き門”を思い出してしまいました。それで、この小説の結末を次のように想像したのです。『おそらく、フェリデは日記書き終えて間もなく死んでしまう。カムランは遺品の中から日記を読み、フェリデが自分を思い続けていたことを知って衝撃を受ける』・・・
しかし、残りの60ページで、こういう展開にはなりませんでした。小説は、最後に二人を幸せにして終わります。悲劇的な結末のほうが良かったような気もするけれど・・・
写真は、ネットから探し出した“ゼイニレル村”の現在。“チャルクシュの村”として、訪れるトルコ人観光客もいるそうです。小説の中では、無知蒙昧な人々の因習に満ちた村が呪わしげに描かれていて、良いイメージは何処にもありませんが、現在の村人たちは、ウェブサイトで“チャルクシュの村”をアピールしています。私も是非行ってみたくなりました。
まあ、漱石の“坊ちゃん”で松山は散々貶されているのに、今では“坊ちゃんスタジアム”などが出来ているのと同じでしょうか・・・

Zeyniler
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