メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの反エルドアン-日本の脱原発

2ヶ月後に迫った地方選挙に向けて、第一野党CHPのクルチダルオウル党首は、「信仰の自由は認める」とか「市場経済を重視する」などと明らかにして、イメージチェンジに努めている。

けれども、その支持層から「ギリシャ人もクルド人もいらない」といった排外主義的な声が聞かれるようでは、何処まで変わったのか疑念を懐いてしまう。

クルド和平のプロセス”についても、何か具体的なアプローチを見せているわけではない。この調子で、来年の国政選挙までに態勢を整えられるだろうか?

多くの識者も、CHPが過半数を取れるとは思っていないようだ。最悪の場合、票が微妙に割れて、かつての何も決められない“連立政権”に戻ってしまう可能性もある。

一昨日(1月27日)のラディカル紙のコラムで、タルハン・エルデム氏は、司法の信用が失墜した現況に苦言を呈しながら、このままではAKPの得票率がかなり落ちてしまうのではないかと危惧している。

そして、今後、地方選挙までの2ヵ月間に、エルドアン首相が、民主主義と“クルド和平のプロセス”に向けて、さらなる一歩を踏み出せるかどうかに、トルコの安定が掛かっていると言う。

エルデム氏の周囲には、「もうAKPには投票しない」と漏らすAKP支持者もいるそうだ。おそらく、エルデム氏の周囲にいるのは知識層に属する人たちだろう。私が暮らすイエニドアンの街では、逆に危機意識からなのか、AKPを支持する声が高まっているような気もする。

人口を考えれば、イエニドアンの住人のような人々の割合が遥かに高いと思う。実際、最新のアンケート調査結果でも、まだAKPは優位を保っているらしい。しかし、予断を許さぬ状況なのは確かであるに違いない。

エルデム氏は、以前のコラムで、もともとエルドアン首相を嫌っている人々の間に、「とにかくエルドアンを引き摺り下ろしてしまえ、後はどうなっても構わない」という空気が蔓延していると指摘していた。

エルドアン派に、これといった展望がないのは明らかじゃないだろうか。とにかくエルドアン憎しで、“あとは野となれ山となれ”という感じがする。そして、エルドアン首相が躓いた場合、本当に“野となれ山となれ”になってしまう可能性が高いから恐ろしい。

こんなことを言ったら、また叱られるけれど、私には、最近、トルコの「反エルドアン派」と日本の「脱原発派」が何だか似ているような気がして仕方がない。「とにかく原発を潰してしまえ、後はどうなっても構わない」・・・。

日本では既に経常収支も赤字に転落したと聞く。いち早く安全性の高い原発を再稼動させるか、エネルギー消費を大幅に減らすかの瀬戸際であるかもしれない。工業用エネルギーを削るわけには行かないとしても、過剰なネオンサインぐらいは直ぐに止められるだろう。

東京都知事選の焦点が“脱原発”になっている様相だけを見るならば、「反エルドアン派」と「脱原発派」の多くは、第3次産業に従事する都市住民という点でも共通しているような気がする。

生産には余り関与していないが、都市生活は多くの消費を伴う。地方への旅行なども随時楽しんでいる。相当なエネルギーを消費しているはずだ。

東京都民の使う電気が、地方の原発で生産されているのは問題だと言うけれど、地方で生産されて、東京都民が消費しているのは別に電気だけじゃない。食肉の消費量が最も高いのは東京23区だとして、23区内に牧場や養豚場はどのくらいあるだろうか?  

こんなつまらないことは言いたくなかったが、都知事選の報道を読んでいるとうんざりしてくる。なんだか、とても気分的なものが先行していて、現実感に乏しい。

「議論の為の議論」を好む人たちが群がって騒いでいる感じもする。議論に勝とうと思ったら、“脱原発”と“平和”を持ち出すのが最善手だろう。平和を望まない人などいないし、原発もなるべくなら早く減らして行ったほうが良いに決まっている。まさしく無敵だ。

しかし、気分的なものは、多くの右翼的な発言にも感じられる。韓国憎し、中国憎しも、その後に、どういう展望があるのか見えてこない。

靖国神社参拝も、今の状況を見る限り、国際世論の批判にさらされただけのような気がするけれど、どうなんだろう? 

太地のイルカ漁と同じであの批判をかわすのは容易じゃなさそうだ。でも、その背景にある伝統や信仰、人々の思いを考えたら、参拝を否定するのも、太地の人々に納得してもらう以上に困難であるかもしれない。

トルコも日本も難題ばかりで滅入ってしまうが、トルコの方は、成長期に見られる“生みの苦しみ”と考えることも出来るのではないだろうか? 日本の状況は、なかなかそう思えないところが悲しい。