メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ポール・マッカートニー

ポール・マッカートニーの日本ツアー、“YouTubet”で少し観たけれど、その若さにびっくり。とても71歳には見えない。声もそれほど衰えていなかったそうだ。
そのエネルギーは何処から湧いて来るんだろう? 多分、節制して、日々鍛錬を怠っていないのではないかと思う。億万長者で全く働く必要もないのに、ああいう過酷なツアーに出て、ファンの歓呼に応えるなんて、凄すぎて称える言葉も見つからない。
でも、イスタンブールまでは来てくれなかった。今後も、トルコ・ツアーが実現するとは思えない。歓呼に応えるほどファンもいないだろうから仕方ないか・・・。
私と同世代のトルコ人に訊いても、ポール・マッカートニーという名前すら知らない場合がある。ビートルズも知らなかったりする。
私がビートルズを聴くようになったのは、中学生になってからで、その頃、既にビートルズは解散していたけれど、“ヴィーナス・アンド・マース”以降のウィングスは、リアルタイムで聴いている。
私にとってビートルズとは即ちポール・マッカートニーで、モハメド・アリと並ぶ最大のアイドルだった。ポール・マッカートニーの音楽がない青春など全く考えることが出来ない。
最近では、“This Never Happened Before”に心がときめいた。まだまだ私は青春の長い坂道を転がり落ち続けているのだ。
トルコには、ポール・マッカートニーだけでなく、他の洋楽アーティストも殆ど来ていないだろう。クラシックも同様、カラヤンベームも来ていなかったと思う。
アトランティック・レコードの創業者アーメット・アーティガン(アフメット・エルテギュン)はトルコ人だったのに、多分、レッド・ツェッペリンもトルコには来ていない。
日本は、その経済力もあって、多くのアーティストを招聘することが出来た。私たちは幸せだった。また、近代化・西洋化の動きも早かったから、ビートルズの時代、既に、その音楽に熱狂する厚いファン層が出来ていたのだと思う。
60年代に、ビートルズがトルコへ来たとして、興味を示す人々の層はかなり薄かっただろう。

「トルコで、左翼運動が盛り上がり始めた頃、欧米では、もう冷め始めていた。なんでも欧米の流行が終わる頃になって、我々は慌てて追いかけようとした」と述懐した知識人もいた。これは、残念なことだったに違いない。
こうした知識人たちは、現政権のイスラム傾向にため息をついているけれど、欧米の流行の受け入れに関しては、それほど心配しなくても良いような気がする。

若い世代は、信仰の有る無しに拘わらず、インターネットにより欧米の流行をリアルタイムでキャッチしているのではないだろうか? 
しかし、ビートルズの時代に時計の針を戻すことは出来ないから、その音楽がトルコで広範囲に聴かれる可能性はもうないかもしれない。