メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イマーム・ハティップレル(イスラム教導師養成学校)

2週間ほど前、ウムラニエの広場前を通ったところ、「スカーフに関する規制を撤廃させよう!」と署名を呼びかけている人たちがいた。ウムラニエは、かなり保守的な街だから、立ち止まって署名に応じる人も少なくなかったが、やはり署名している女性は、スカーフを被っていない人より被っている人のほうが多いように感じた。
呼びかけている人に話を聞こうとしたら、仮設テントの中に招き入れられ、お茶までご馳走になってしまった。主催しているのは“教員組合”だったが、トルコの教員組合には、左派と右派の双方があり、もちろんこれは右派の組合である。
話し相手になってくれたのは、40歳ぐらいのトルコ語の先生で、AKP政権の支持者には違いないのだろうけれど、「イスラム系の政党が政権を取れば、こういう問題も直ぐに解決されると思っていたのにそうでもなかった。私たちは政治に期待し過ぎていたようだ。それが解るのに10年掛かってしまった」と不満も口にする。
遠まわしに思想的な背景を訊くと、どうやらもともとAKPの母体となった“ミッリギョルシュ(国民の思想)”の支持者だったらしい。「“ミッリギョルシュ(国民の思想)”には当初から民主的な思考があったのです」などと言う。
それで、今度はかなり直截に、「フェトフッラー・ギュレン師の教団は?」と水を向けたら、「あそこは話になりません。彼らがフェトフッラー・ギュレン師を批判できますか?」と勢い込んで批判していた。
私は「イマーム・ハティップレル」という導師養成学校の歴史的な背景について書かれた本を読んだばかりだったので、宗教の教育についても尋ねたところ、「国が一時期、宗教に関する教育を疎かにしていた為に、いろんな教団が力をつけてしまった」と語っていたけれど、これはその本にも同様の記述があった。
本には、イスラム主義者たちが、政権の奪取ばかり考えていて、地道な市民運動を怠っていたという指摘もあったから、ひょっとすると同じ本を読んでいるのかと思って訊いたら、そういう本が出版されていることも知らなければ、著者のメフメット・アリ・ギョカチト氏についても余り知らないようだった。
2008年の11月に亡くなったメフメット・アリ・ギョカチト氏は、どちらかと言えば左派の人だったから、彼がこの人についてそれほど興味がなかったとしても無理はない。
イマーム・ハティップレル」は、おそらくギョカチト氏の遺作になってしまったのではないかと思う。トルコのイスラム、そしてイスラム教育の近代化の歩みについて書かれている。トルコの近代化は、世俗主義者らだけではなく、イスラム勢力をも巻き込みながら進んだと強調されていた。
以下の“YouTube”では、ギョカチト氏がギュルカン・ハジュル氏の質問に答えている。

Mehmet Ali Gökaçtı Şimdiki Zaman'da Bölüm 1

この中で、タハ・アクヨル氏の「アマ・ハンギ・アタテュルク(しかしどのアタテュルクなのか)」という著作も話題になっていた。タハ・アクヨル氏は保守派の論者で、保守の観点から“プラグマティックな政治家アタテュルク”を論じているけれど、ギョカチト氏はこれを「アタテュルクのプラグマティックな一面ばかりを強調して、社会の各層で共有しようという試みに他ならない」と批判している。
これに対して、聞き役のハジュル氏が、「つまり、アタテュルクの中身を抜いて空にしてしまうような・・・」と問い掛けると、ギョカチト氏は「その通りです」と応じていた。
しかし、どうなんだろう? アタテュルクがトルコ共和国の正統性の拠り所として、今後も尊重されて行くためには、やはり社会の各層から共有されていなければ困るような気もする。日本の天皇が見事なまでに空であるのと同じように・・・。
ウムラニエの「スカーフに関する規制を撤廃させよう!」キャンペーンの仮設テントの中では、訪れていた支援者が、「しかし、最近は単なる流行みたいにスカーフを被る女性が増えて来たのも困った問題だ。これでは宗教の中身が抜かれて空になってしまう」と懸念を表明していた。
これはとても興味深いことだと思った。世俗派、イスラム派の双方で、自分たちのイデオロギーや宗教の中身が抜かれて空になってしまうのではないかと心配している。
さて、どうなるのだろう? 結局、双方とも空にされて、そこを多様化した現実が埋めて行くのではないか、そんなような気がする。