今日は、トルコ共和国の国父アタテュルクの命日だった。
昨日話題にした世俗主義者の人たちは、「この国は無知な人が多いから嫌だ」と話していたが、敬愛するアタテュルクを追悼する集まりには参加していただろうか?
もちろん、彼らは自分たちの理想が達成されない現状を嘆いているだけで、“愛国心”を否定しているわけじゃないだろうけれど、“無知”だからと言って大多数の国民を愛さないのであれば、国を愛するのも難しくなるような気がする。
アタテュルクについては、教科書的な知識しか持ち合わせていないが、最悪の事態に備えながらも希望を最後まで捨てない未来志向の指導者だったように思う。
過去に郷愁など懐いていなかったようだし、全ての理想を実現しようと冒険を試みることもなかったのではないだろうか?
現実的には達成が難しい理想を求めるより、最悪の事態を避けようと努力していたような気がする。そうでなければ、絶体絶命の危機に瀕していた国土を守るのは不可能だったかもしれない。
もしも、アタテュルクが、“無知”な人々を疎ましく思うような人物だったら、アナトリアの東部や南東部をさっさと切り捨てて、イスタンブールの周辺だけが残された小さな“オスマン国”の大宰相にでもなっていたのではないか?
オスマン帝国末期の危機的な状況の中でも希望を失わなかったアタテュルクを偲ぶならば、今のトルコが嫌になる理由など何処にもないと思う。