メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

この国が好きですか?

“AKP政権によるイスラム化”を危惧する左派の人と話していたら、「貴方はこの国が好きなんですか?」と訊かれた。
「好きじゃなきゃ17年も暮らしていないでしょう」と答えると、彼は隣の人に向かって、「この人は外国人で、ずっと良い所に住んで、トルコの良い面しか見て来なかったんだろう。酷い目にあったことがないんだね」なんて言う。
言われた人も、これに肯いて「この国が好きだなんて・・。この国はとても変わっていますよ。無知な人がこんな多くて・・」と呆れた顔をしていた。トルコが好きな私も“無知”の部類に数えられていたんだろうか・・・。
(というか、彼らの理屈からすれば、日本でも何処でも世界は“無知”だらけに違いない。)
「外国人で、ずっと良い所に住んで・・」と言うが、多分、彼らは私より遥かに豊かな暮らしをしているだろう。
彼らが住んでいる街区は、我が家のある僻地のイエニドアンと違って、そんなに停電もしていないような気がする。
しかし、マイカーを持っているため、イスタンブールの交通渋滞では、私より酷い目にあっているかもしれない。
世俗主義を標榜して来た彼らが、イスラム系と言われるAKP政権の長期化に落胆している気持ちは解るけれど、その下で達成された経済成長まで疎んじたりするのは可笑しいと思う。彼らだって、充分に経済成長の恩恵は受けているはずだ。
多くの庶民は、イデオロギーのような形而上の事柄については“無知”かもしれないが、それは興味がないだけで、実社会で役立つことについては誰もが解っている。
同じく形而上の事柄である宗教についても、それを信仰しているだけで、別に“イスラム主義”とかややこしいことを考えているわけじゃない。実社会で役に立たない概念には興味がないのである。
その意味では、とうの昔から世俗化していたのではないかと思う。
そういった多くの人々が、オスマン帝国の時代から少しずつ近代化を進め、アタテュルクによる共和国革命以降、大きな力を得て産業化を図り、生産性を高めて来た結果が、今のトルコ共和国じゃないのだろうか?  
ところが、この経済成長を最近のイスラム傾向に結び付けて論じたりする人がいるから、世俗主義の彼らも苛立つに違いない。
トルコの人々は数百年に亘ってイスラムを奉じてきたから、この自分たちの伝統を近代社会の許す範囲で守ろうとしているだけで、それがキリスト教であれば、その伝統を守ろうとするだけだろう。イスラムを貶すのも美化するのも間違っているような気がする。

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