メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ軍・政教分離

クズルック村の工場にいた頃、トルコ人の同僚から、「日本には軍隊がないそうだね?」と訊かれた。「いや、防衛目的と言いながら紛れもない軍隊があるよ」と答えたところ、「強いのか?」と重ねて問われた為、「さあ、少なくともトルコよりは強いだろう」と言い返してやったら、周りでこの問答を聞いていた“愛国的”なトルコ人たちにワーッと取り囲まれてしまった。
尚武の国の人たちだから、「少なくともトルコよりは・・」なんていう侮辱は許せなかったのだと思う。
しかし、昔、韓国でこういう話になると、「自衛隊は強い、だから日本はまた侵略して来る」という議論になってしまったような気がする。当時、韓国の男たちは、兵役の厳しい訓練で鍛え上げられていたし、大統領も軍人上がりで、軍の影響力は絶大、如何にも“尚武の国”というイメージだったけれど、歴史的には文民統治の伝統があって、武人は文官の下に見られていたらしい。「“尚武の気質”は、日帝に植え付けられた」などと言われたりもした。
最近、文民統治に戻って久しい韓国では、軍の規律も緩みっぱなしだという話も聞く。どうなんだろう? いずれにせよ、何処の国の軍隊でも、“どちらが強いのか”なんて試される局面は、もう未来永劫に亘って出現しないで欲しい。
91年に初めてトルコへ来た時は、韓国と比べて「随分、大人しい人たちだな」という印象を受けた。車の運転は、韓国より遥かに大人しく、人々ものんびりして柔らかな感じがした。でも、4月に韓国へ行ってみたら、今や韓国のほうが何だか大人しくなってしまったように思える。特に、車の運転は見違えるほどだった。
トルコの人々の人当りの柔らかさ、バランス感覚は今でもなかなかだと思っているけれど、市バスの運転はどうにかならないものかと言いたくなる。
トルコでも、軍の規律は、90年代以降、大分緩んでいたのではないかと言われている。共和国初期の気風が失われ、80年のクーデター以来、特権階級的な意識だけが強まっていた。それが今、厳しい“内部の清算”を経て、綱紀の乱れを正し、刷新を図っているそうだ。
政教分離を守るという名目で軍が政治に介入する時代はもう終わったのだろう。出版社の知人は、「トルコに政教分離の危機などない。トルコはオスマン帝国の時代から政教分離だった」と話していた。
2002年にAKPが政権に就いて以来、政教分離の危機が叫ばれ、様々な論説が行き交う中、私の弱い頭はずっと混乱したままだったが、イスラムの伝統が息づくクズルック村で3年間暮らしながら、トルコに政教分離の危機などないことぐらい私は肌で知っていたはずだ。
弱い頭で、いろんな論説を読んで悩むより、肌で知り得た感覚を大切にすべきだったかもしれない。
いったいAKP政権の10年で何が変わったのだろう? 経済的に発展し、社会インフラは良くなり、多少民主化は進んだ。
それから、確かにイスラム色は濃くなった。アタテュルクでさえ、ちょっとイスラム的な側面から語られたりするようになった。でも、アタテュルクが国父として共和国の象徴であることに変わりはない。
飲酒や肌の露出は、既に近代化の証しではなくなりつつある。そもそも飲酒や性の自由さが近代の証しであれば、江戸時代の日本は、当時、世界で最も近代的な国だっただろう。
アタテュルク主義のイデオロギーばかりでなく、イスラム主義というイデオロギーも後退したようだ。イスラム主義者がいくら非難しても、ラマダン祭はどんどんレジャー化して行く。面白くない上に腹の足しにもならないイデオロギーなんて、我々庶民には必要ないのである。
リベラル派が望んだように、軍の庇護が取り除かれ、何から何まで自由で民主的になったりはしなかった。国家は相変わらず権威主義的だ。トルコ軍は、トルコ共和国を支える大きな柱の一つとして、これからも存在感を維持するのではないか。
でも、世の中は少しずつ変わって行くだろう。自由の範囲は広がり、民主主義も発展を続けるに違いない。