メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アタテュルク主義者によるアタテュルク批判?

AKP政権を忌み嫌う人たちは、「AKPがアタテュルクを消そうとしている!」と反発している。
アタテュルクは、今でも国父として敬愛の対象であり、消されそうになっているとも思えないが、以前と比べて、確かに扱いは小さくなった。でも、国父への崇拝が余りにも激しいのは、何だか“第三世界の国”みたいで、嫌な感じがしていたから、今ぐらいがちょうど良いような気もする。
年末、友人の奥さんと雑談していて、これが話題になった。彼女も「アタテュルクを消そうとしている!」と怒っていた。しかし、その後で、「アタテュルクも嘘ついたけれどね」と付け加える。「“トルコ人は勤勉である!”とか“トルコ人は賢い!”なんて嘘ばかり・・・」と言うのである。
これでまた、2007年に、シヴァス県の教員宿泊施設で聞いた話を思い出してしまった。相部屋になった教員は、「日本ように勤勉で賢い国民がいれば、諸外国と競合して行くことも可能だが、この国には愚かな怠け者が多いから、外国資本の食い物にされてしまう。しかし、我が国は日本と違って国土が広く豊かだ。国を閉ざしても充分やっていける」と論じていた。
トルコ共和国は、帝国末期に亡国の瀬戸際に立たされたトラウマから、アタテュルク亡き後、とにかく縮こまって国を守ろうとしていたのかもしれない。これが今でも一部の人たちの間で続いている。
アタテュルク主義者によるアタテュルク批判としては、次のような話も聞いた。ある友人は、アタテュルクが救国の対象に、クルド人地域も含めてしまったのが間違いだったと嘆いていた。東部地域は切り捨てて、もっと小さなトルコ共和国を作れば良かったらしい。
こういう人たちは競争も嫌っている。自分たちが手に入れた僅かばかりの権益を守り、新規参入者との競合も拒んで、ずっと“ぬるま湯”の中に浸っていたいのだろう。
数年前の話で今はどうなっているか解らないが、国立管弦楽団なども、「構成員は国家公務員になっていて首になる心配がない、入団試験は欠員が生じなければ行なわないから新規参入者との競合もない」という驚くべき“ぬるま湯体質”だったそうだ。
トルコで、政治家・官僚・軍人が秀でているのは、結局、こういう分野はオスマン帝国以来のもので、それなりの伝統を受け継いでいるからじゃないかと思ってしまう。
クルド人地域は切り捨てても構わないと考えているのであれば、確かに“クルド和平のプロセス”などどうでも良いのかもしれない。しかし、そんなマイナス思考では何処へも行けないのではないだろうか。
AKP政権も長期に亘ったから、そろそろ交替しても良い時期だとは思うけれど、受け皿が見当たらないのは困ってしまう。政権に就くためには、プラスの何かを見せてもらいたいが、今のところ、野党勢力は、相手の失策に乗じて得点を狙っているだけのように見える。