メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

平和に纏わる嘘

“本音と建前”と言うけれど、自分の“本音”が何であるのか完全に解っている人なんて何処にもいないと思います。だから、何処までが建前で何処から本音なのか、線を引くのも難しい。

ムスリムやクリスチャンが何処まで本音で宗教を信じているのか問うても余り意味はないかもしれません。皆、適当に折り合いをつけて生きている。世の中、そんなものじゃないでしょうか? 

在日作家の金達寿司馬遼太郎との対談で、次のように述べていました。

戦前、神功皇后三韓征伐などが歴史として教科書で教えられても、まともな人たちは、それが御伽話であると承知して読んでいたのに、戦後の教科書は、神話と史実を区別しながら、三韓征伐に類似する事実があったかもしれないと説明している。このほうが説得力を持つだけに、もっと危険であると・・・。 

トルコで、教養のあるムスリムなら、神は抽象的な概念であると理解して信じているだろうし、コーランも神話として読んでいるのではないでしょうか。もちろん、そんなことは言わないけれど・・・ 

却ってイデオロギーの場合、それは具体的な事実として語られているから、もっと危ういかもしれませんが、多くのトルコ人はこちらも話半分で聞いているのではないかと思います。 

日本では、戦後民主主義と、これに纏わる“平和”がまことしやかに語られているけれど、御伽話の装いを持っていないから、同様の危うさがあるかもしれません。

戦前の御伽話は、人々を戦争に駆り立てるものだったから、本能的に殺人を忌避する人間として、人々はこれをまともに信じたりはしなかったのに、平和は誰もが望んでやまないため、ついこれを信じたくなってしまう。

しかし、信じたところで、宗教のように人々へ結束力や“戦う意志”をもたらしたりはしない。自堕落になってしまうだけのような気がします。