メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

正教会とソビエト

ロシア人のナターリアさんがソビエトに郷愁を懐くのは、それほど不思議じゃないかもしれませんが、そういえば、2004年にあのロシア教会で出会ったウクライナ人の中年女性も、やはり同じような郷愁を懐いていたようでした。
私は彼女が「是非、聴いて下さい」と勧めるものだから、わざわざCD店で「ショスタコーヴィチの7番“レニングラード”」を買い求め、何度か聴いてみたけれど、とにかく長くてうんざりした記憶しか残っていません。『これはソビエトに愛着がなければ聴けないだろう』なんて思ってしまいました。
一度、彼女に「ソビエトの時代、ロシア人とウクライナ人の間には何の問題もなかったのですか?」と尋ねたら、「ありません。ユニオンだったのです」と力強く言い切っていたのが印象的でした。
しかし、彼女も当然のことながら正教徒だったわけで、「ウクライナにはカトリックの方もいるでしょう?」という問いには、「それはリヴォフ(リヴィウ)の辺りですよ」と答えていたものの、リヴィウに総本山を構えていた“ウクライナ東方カトリック教会”は、2005年にこれをキエフに移したため、正教会やロシア系の右翼団体が反発して抗議デモを行ったそうです。
ソビエトの時代、ムスリムの出自で初めて中央委員会政治局員に選ばれたのが、後にアゼルバイジャンの大統領となるヘイダル・アリエフだったのは有名な話だけれど、果たして当時、カトリックを含む非正教徒の政治局員は、どのくらいいたのでしょうか?
97年頃だったか、大阪市内の文化施設で講演したロシア人の方に、「正教徒にとってムスリムとは?」と訊いたら、「兄弟です」と微笑んだのに、カトリックについては「敵」という言葉を使ったので驚いたことがあります。
トルコでも、オスマン帝国の時代、非カルケドン派アルメニア正教徒とカトリックアルメニア人の間には、深刻な対立があったそうです。
ソビエトも何だかんだ言いながら、正教会を国民の紐帯にしていたのではないかという気がしてならないけれど・・・。

*下の写真に、十字を切っている女性の姿が見られますが、正教とカトリックでは、十字の切り方が逆であり、正教では額・胸・右肩・左肩の順、カトリックでは額・胸・左肩・右肩の順となっています。
次の写真は、ロシア正教徒が復活祭の日に食べるという“クリーチ”、通常はもっと大きいそうです。「小さなものですみませんが・・・」と言いながら、ナターリアさんがわざわざ奥から持って来てくれました。あまり甘くなくてなかなか美味しかったです。
最後の写真は、礼拝堂の中で売っていた小さなパン、アンティドルと呼ばれる持ち帰り用の聖餅でしょう。一つ所望したら「仏教徒の貴方にとっては罪になりますから」と係の男に断られてしまったけれど、外へ出る所で待ち構えていたモルドバ人の女性が、「あの男に断られたのを見ていたから、余分に買っておいてあげましたよ、どうぞ」と言って分けてくれたのです。

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