メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

北陸地方を襲った災害

大変な年明けになってしまった。東日本大震災ほどではないにしても相当な被害が出ているようだ。

ネットから得た「津波」の情報に、2011年3月11日の衝撃が蘇ってしまった。

私の半生、どのくらい幸運に恵まれていたのか解らないが、恐ろしい災害に見舞われたこともなければ、もの凄い不運を感じたこともない。

全く無計画に、行き当たりばったりで生きて来たのに、これは実に有難いことだと感謝しなければならない。

私のような人間が、「運が悪くて死ぬ」ではなくて、「たまたま運が良くて生きている」と思うのは、それほど難しいことでもなかったはずだ。

将来のために地道に努力してきた人が、その成果を得る前に、災害で全てを失ってしまったとしたら、過酷な運命を呪わざるを得ないかもしれない。

おそらく、過酷な運命に対して、心の支えとなるのが「宗教」なのだろう。運良く健康に半生を過ごして来た私は、宗教について、いったい何を考えることが出来るのか?

多分、30年ぐらい前に読んだ話で、なんとも曖昧な記憶によるけれど、プロテスタントの牧師さんが、真宗の信仰に篤い北陸地方で講演したところ、慈悲深い「主」の有難い話を伝える度に、聴衆から「南無阿弥陀仏」という囁きが聞こえてきたそうである。

「ハレルヤ」も「アッラーシュクル」も、「南無阿弥陀仏」と同様、感謝の言葉であるに違いない。