メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

文武両道の武士

16年ほど前、愛知県の東海市姉妹都市になったブルサ県のニルフェル市(区)で、双方の中学生のハンドボールチームによる親善試合が行われた。

大人でも全般的にトルコ人の方が大柄であるように思えるが、中学生では第二次性徴の早いトルコ人が日本の少年たちより頭一つ大きいように見えた。それでも、チームプレーに勝る東海市の中学生チームが勝利したと記憶している。

ニルフェル市のチームには、体が大きく身体能力に優れた少年たちも多かったが、甚だしい個人プレーで巧く得点に結びつけられなかったようだ。

東海市チームの先生の指摘によると、試合中に全くパスをせず、ボールを受けたら必ず単独でドリブルにより突き進んでシュートを狙う少年もいたという。

一方、ニルフェル市チームの先生は、東海市チームの少年たちが、試合前に円陣を組み、先生の指示に「ハイ!」と大きな声で答えて気合を入れる姿に、「日本の子供たちは凄い!」と頻りに感心していた。

確かに、トルコの少年たちからは、試合前の先生の指示を真剣に聞いている雰囲気が感じられなかった。そっぽを向いている少年もいた。

試合の後、トルコの先生が感心していた様子を日本の先生に伝えたら、先生は「部活をやっている子供たちは昔と変わりませんよ。でも、ゆとり教育の所為で学力はもの凄く落ちていますね」と苦笑いしていた。

やはり、勉強もスポーツも一定の規律と鍛錬が必要であり、自由放任では巧く行かないのだろう。トルコでもレベルの高いチームになれば厳しい規律があるに違いない。

また、徴兵を実施しているトルコで、男子は嫌でも兵役の期間中に鍛錬されて規律を叩きこまれるのではないかと思う。

日本の社会は、様々な所に綻びが現れて来たように言われているけれど、先生が「部活をやっている子供たちは変わっていない」と述べたように、スポーツ界には相変わらずの勢いが感じられる。

以下の駄文に、アスリートこそ現代の武士ではないかと書いたが、文武両道の精神に基づいて、身体の鍛錬も怠っていなかった武士たちには、現代のアスリートに通じるものがあったはずである。

福沢諭吉は、文明開化を強調するあまり、武士の時代が終わったかのように説いていたものの、自身は居合の達人であり、明治の時代になってからもその鍛錬を怠らなかったという。

福翁自伝」に以下のような場面があったと記憶している。

暗い夜道を歩いていると、向こうから近づいて来る男に只ならぬ気配を感じたため、福沢は携えている刀の鯉口を切り、いつでも抜刀できるように身構えながら進んだというのである。

結局、その男は単なる通行人であり、無駄に怯えて身構えた話として伝えながら、福沢は臆病な自分がそれほど立派な武士ではなかったと言いたかったようだけれど、相当な自信が無ければ、鯉口を切って身構える前に逃げ出していたに違いない。

維新の後、かつての武士たちに、「実際に切り合いになったら一番強かったのは誰か?」と尋ねると、その多くが「それは福沢だろう」と答えたという話が伝わっている。

福沢諭吉は身長が173cmあり、当時の日本人男性としては非常に大柄だったため、体力、腕っぷしの強さも抜きんでていたらしい。もちろん、それには厳しい鍛錬の成果もあったはずだ。まさしく、文武両道の武士だったのである。

そして、こういった武士の精神が、明治以降にも受け継がれ、日本の発展を支えていたのではないだろうか。

しかし、戦後、平和と繁栄が謳歌される中、「武士の精神」などというものは前世紀の遺物であるかの如く言われ、蔑ろにされてきた。日本が再び立ち上がるために必要なのは、この精神であるように思われてならない。

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