《2009年8月19日付け記事を修正して再録》
14年前の8月18日、韓国の金大中元大統領が亡くなった。「民主化闘争の勇士」といった型通りの表現では捉えきれない「したたかでしなやかな政治家」だったのではないかと思う。
朴正煕氏や全斗煥氏の軍事独裁政権に対して、度重なる弾圧にもひるむことなく果敢に民主化闘争を展開したけれど、人間のタイプとしては、相手の朴正煕氏や全斗煥氏と良く似ていたかもしれない。
いずれも凄まじい権力志向を持ち、強靭な精神で乱世を闘い抜いた「英雄」ではなかっただろうか。
韓国に滞在していた88年、知日派の友人が、「日本の歴史は戦国時代とか明治維新に波乱万丈の物語があって英雄が登場するから面白い。我国の歴史はつまらんよ」と言うので驚いたことがある。
実際、明治維新はともかくとして、戦国時代の方は、山岡荘八の「徳川家康」の韓国語訳がベストセラーになっていたほどだから、日本の歴史を面白がっていた韓国の人は少なくなかったようだ。
私に言わせれば、明治維新の英雄でさえ、古ぼけた写真から辛うじて面影を偲べるだけなのに、その頃の韓国では「乱世の英雄たち」を間近に見ることも出来たから、よっぽど羨ましいくらいだった。
しかし、これは傍観者の戯言に過ぎないだろう。当時、韓国の人たちは未だほとぼりが冷めていない身近な歴史をそう気楽に振り返って見れなかったのではないかと思う。
金大中氏が亡くなると、韓国の「英雄の時代」も遠い過去になったように感じられた。
イスタンブールで大学生ぐらいの若い韓国人観光客の様子を見たりしても、線が細いという印象を受けることが多くなった。
友人が経営するゲストハウスで、少しびくついた態度の東洋人青年を見かけたため、日本人であると確信して声を掛けたところ、韓国人だったので驚いたりした。
『貴様、それでも韓国の男か! チョンシンチャリョー(しっかりしろ)!』と叫びたくなった。
韓国でも「草食系」ならぬ「草食男」なんて言葉が流行っていたそうだけれど、あれでは韓国人の男なのか日本人の男なのか見分けがつかなくなって困った。かつて私が考案した識別法も有効期限が切れてしまったらしい。
その識別法とは、まず椅子に座る姿勢。申しわけなさそうな態度で膝をきちんと合わせて座っていたら日本人、偉そうな態度で股をおっ広げて座っていたら韓国人。
次は雑踏での歩き方で、『すみません、通らせてもらいますよ』という感じで歩くのは日本人、『どけどけ俺様のお通りだ』と兵隊の行進みたいに足を上げて大股に歩くのは韓国人。
まあ、つまらない冗談だが、雑踏での『どけどけ』は大袈裟にしても、兵隊の行進みたいな歩き方には、ちょっとした思い出がある。
99年だったか、私は夜の11時ぐらいに人通りの絶えたイズミルの街路を歩いていた。
その時、向こうから胸を張り腕を振って大股で近づいて来る男のモンゴロイド顔が街灯に照らされる。
その余りの韓国人らしさに嬉しくなり、見知らぬ男だったにも拘わらず、私はすれ違いざまに「アンニョンハセヨ!」と挨拶した。
すると、男も喜色満面になって韓国語で話しかけて来たのである。
あれは本当に有効な識別法だった。