メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

子供の頃に聴いた歌~韓国・トルコの歌

《2007年1月15日付け記事を修正して再録》


会議は踊る Das Gibt's Nur Einmal (Irene Eisinger m.).MOV

子供の頃、家にあった78回転レコードの中には、父が戦前に買い集めたドイツの歌謡曲などもあった。

映画「会議は踊る」の挿入歌から上記の「ただ一度だけ」であるとか、「モンテカルロの一夜」「水夫の恋」などという当時流行った歌謡曲である。

 私は小学校3年か4年生ぐらいの時に、こういったレコードを何度も聴いて、それをドイツ語らしく歌ってみたりしたけれど、私の耳は固まるのが早かったのか、もうその頃から、ドイツ語の音声を“日本語のカタカナ”に置き換えて捉えることしかできなかった。

イズミルトルコ語学校で、ドイツ人の若い女性たちにこのドイツ歌謡の話をしたら、「戦前、日本の若者たちがドイツの歌謡曲を聴いていた」という事実には並々ならぬ興味を示してくれたものの、「会議は踊る」も映画について知っていただけで、その挿入歌までは知らなかったようだ。

モンテカルロの一夜」をドイツ語風の歌詞付きで口ずさんでみせたら、怪訝な表情で首を傾げるばかりだった。

中学生になると、私もビートルズ・ナンバーなどを聴くようになり、英語の歌詞カードを見ながら辞書を引いたりもしたけれど、既に音を捉えることは全く不可能で、聴けば聴くほど英語を勉強するのが嫌になった。

 今考えれば、歌やスピーチなど聴こうとしないで、漢文でも学ぶようにリーディングだけやっていた方が良かったのではないかと思うけれど、いずれにしても高校へ行った後は何の勉強もしなかったので、やっぱり駄目だっただろう。

韓国語を学習し始めてから、早速、チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」を韓国語で聴いてみたところ、これは割りと容易に音がひろえて、下手なりにカラオケでも歌えるようになった。

韓国語の音は、英語に比べれば信じられないくらい聴き取り易く、ソウルに留学していた頃は、喫茶店で初めて聴いた歌でも、何を言ってるのか九割方聴き取れたこともある。

トルコ語の歌は、イズミルで勉強し始めた頃、「イエニ・トゥルキュ(Yeni Türkü)」というグループと「レマンサン(Leman Sam)」という女性歌手の歌を何曲か好きになったけれど、レマンサンの「Sana Bele N'Oldu Yar」という歌はアゼルバイジャンの民謡で、向こうの方言を使っているため、未だに殆ど聴き取れない。

 イエニ・トゥルキュの歌も、気に入ったのはいずれもギリシャの曲にトルコ語の歌詞をつけたもので、歌詞の内容が難しい上、なにやら早口で歌い上げている部分があって、これまた良く聴き取れない有様だ。

せっかくトルコに親しんでいるのだから、もう少しトルコの歌を聴いてみれば良いかもしれないが、残念ながら上記の「イエニ・トゥルキュ(Yeni Türkü)」などの曲以外には殆ど聴くこともない。

トルコ語も英語に比べれば驚くほど聴き取り易いから、聴きながらある程度歌詞の内容を把握することもできるけれど、何だか他の曲はメロディが私にはピンと来ないのである。


Sana Bele N'Oldu Yar


Telli Telli -Yeni Türkü


Yeni Türkü - Maskeli Balo


Leman Sam - Ayrılık / Çağrı #adamüzik