メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

東方礼儀之国(1988年:ソウル)

《2009年12月24日付け記事を修正して再録》

87年~88年にかけて滞在したソウルの下宿は、延世大学に近いこともあり、下宿生は殆ど同大の学生だったが、一人、韓国有数の商船会社に勤める独身サラリーマンの方もいた。1960年生まれの私より4歳ほど年長だったのではないかと思う。名門高麗大学の仏語学科を卒業し、柔道は三段の腕前という文武両道の英才だった。

儒教思想が色濃く残り、長幼の序にうるさい当時の韓国では、三つか四つの僅かな歳の差も疎かには出来ないため、若い学生たちは「年長者」である私に必ず敬語で話し、礼を尽くそうとするので、非常に堅苦しいものを感じたけれど、サラリーマンの方はざっくばらんに応じてくれたので、私は学生たちよりこの方と特に親しくしていた。

もちろん、その方には私が敬語で話して礼を尽くさなければならないが、韓国語の初学習者である私にとっては、ぞんざいな言葉使いより、教科書通りの敬語がよっぽど話し易かったのである。ところが、学生たちに敬語で話しかけたりすると、「ヒョンニム(兄様)、私どもにそのような敬語をお使いにならないで下さい」などと言われ、やり難いことこの上もなかった。

サラリーマンの兄様(日本語にすれば先輩)は、仏語学科を卒業したものの、商船会社では英語を使うことが多く、「仏語が全く上達していない」と嘆いていたため、ソウルオリンピックの開催期間中、フランス人も宿泊しているツーリスト用の安宿に御案内したら、暫くの間、フランス人の旅行者と楽しそうに話しこんでいた。私はフランス語が全く解らないから何とも言えないが、かなり流暢だったように思う。

先輩の英才はこればかりではなかった。漢文を白文で読みこなすことも出来たのである。ハングル世代と呼ばれる同世代の韓国人には、漢字も満足に読めない「秀才」がいたから、その博識は抜きん出ていたと言えるだろう。

「白文で・・」と一応断りを入れたが、韓国には昔から「返り点」などというものは存在していない。漢文を読むのであれば、それは断わるまでもないことだった。

例えば、「少年老い易く学成り難し」という漢文由来の諺も、「返り点」を使って読まなかった韓国では、漢文でそのまま「少年易老学難成」と伝えられ、これを韓国語の音読みで「ソニョンイロハンナンソン」と言い表し、発音通りにハングルで書き記している。日本語に置き換えて考えれば、平仮名で「しょうねんいろうがくなんせい」と表記するようなものであり、漢字を知らない世代は、この諺を知っていても、何故そういう意味になるのか良く解っていないかもしれない。

しかし、小中華と言われた李氏朝鮮の時代、知識人は公式文書から私信に至るまで、全て漢文を用いていたと言うから、その後、日本統治時代の「日本語の使用」を経て、独立後のハングル世代へと続く韓国の文化史は、なかなか一筋縄ではいかないように思える。

先輩とは、下宿の食堂でも一杯やりながら語り合ったりしたけれど、上記のような日韓の歴史に話が及ぶと、なかなか和やかに終らない場合もあった。

ある晩、そういった「歴史認識」を巡って議論になり、先輩が「東方礼儀之国と言われた我が国と日本は比較にならない」と繰り返したので、ほろ酔い加減の私もムキになって、「先輩、そう仰いますが、『東方礼儀之国』というのは、中国から『行儀の良い子だ』と褒められただけの話でしょう。そういうのを事大主義というのではございませんか?」と詰め寄ったところ、やはり酔いの回っていた先輩は、テーブルをバーンと叩き、「無礼なことを言うな!」と大激怒。先輩は何しろ柔道三段の怪力無双だから、その勢いでド突かれたら、ひょろひょろの私はひとたまりもない。『しまった! 調子に乗って言い過ぎたか?』と青くなっていると、先輩は何も言わずに立ち上がり部屋へ引き上げて行った。

翌朝、先輩はいつも以上に愛想良く、「あー、マコトさん、昨日は良く眠れました?」なんて声をかけてくれたけれど、晩のことがちょっと照れ臭かったのではないだろうか。

でも、良く考えて見れば、私が子供の頃は日本の教科書にも、「我が国(日本)は『東方礼儀之国』と言われていた」なんてことが書かれていたように記憶している。朝鮮が『東方礼儀之国』と称されていたのは紛れもない事実のようだが、日本の場合はそれも怪しいから、これは「事大主義」どころか、似非事大とでも言えるような代物だったかもしれない。先輩にこれを言わなかった私は非常に卑怯だった。

事大主義とは「以小事大」(小を以って大に事える)という孟子の言葉に由来しているそうだ。大国に従属しながら生き残りを図るという意味だと思う。

韓民族はこの事大主義によって中国に寄り添いながらも、完全に漢化されてしまうことなく、しぶとくその民族性を守ってきた。中国を支配した満州族でさえ、直に漢化されてしまったのだから、韓民族は、まさにサバイバルの達人と言えるだろう。

私は時々、韓民族には、そういったサバイバルの遺伝子とでもいうようなものが組み込まれていて、この遺伝子が「北朝鮮」を担保として取ってあるんじゃないかと思うことがある。

生物に雌雄の別があるのは、全て同じタイプの遺伝子ばかりだと、その遺伝子がある種の伝染病のようなものに対応できない場合、全滅の危機にさらされるため、絶えず二通りの遺伝子を組み合わせることによって、リスク配分しているからだと言うけれど、韓国と北朝鮮も、そういった雌雄の関係なのかなどと考えてしまうのである。二股かけた究極の「事大」かもしれない。

しかし、日本も戦後は、アメリカに「事大」して来たのではないかと思う。果たして、日本は、韓国ほど巧みに、「事大主義」を使いこなして来ただろうか。

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