メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ語・日本語・韓国語

オスマン帝国公用語は、アラビア文字によって記され、アラビア語ペルシャ語の影響を強く受けていたため、「オスマン語」と呼ばれたりしているものの、言語の系統から見た場合、トルコ語に数えられるのは明らかであるという。
日本語に例えれば、やたらと漢文調に装った言葉使いが多かったようなものかもしれない。
だから、600年に及ぶオスマン帝国の歴史を通して、トルコ語も洗練され進化を遂げてきたのではないかと思う。しかし、アラビア語ペルシャ語の影響は、現在のトルコ語にも残っている。
トルコ語の文法で打ち消しは、日本語と同じように、動詞や体言の後に来るけれど、「メルト(男らしい)~ナ・メルト(男らしくない)」というように、ペルシャ語系の単語では、ペルシャ語の否定詞「ナ」を前に付けたりする。
とはいえ、これは日本語の漢語系の単語における「非常識」といった否定形と同じだろう。日本語では、「不確かな」というように、純然たる和語の前に漢語の否定詞を付けて打ち消す例も見られる。
日本でも、江戸時代には、公式文書を漢文で記していたそうだ。それは、かなり日本語化した漢文らしいが、英語に訳せば“クラシカル・チャイニーズ”であり、「当時の日本人は公式文書を中国語で書いていた」と言われても仕方ないような気がする。
しかし、日本語の文学は、平安時代の昔から、発展し続けて来た。漢文で記されていたのは、ごく限られた文書に過ぎなかったはずである。日本語が進化を遂げて来た歴史は、トルコ語のそれよりも遥かに長かったと思う。
李朝時代の朝鮮は、この辺りが少し違っていたかもしれない。知識人は、私信に至るまでを漢文によって記し、その漢文は正確で中国と変わらないレベルだったと言われている。返り点を使った訓読などもなく、漢文をそのまま読みこなしていたそうだ。
そのため、今でも、「百聞は一見に如かず」といった漢文由来の諺を、「百聞不如一見」の韓国式発音により、「ペンムン・プリョ・イルギョン」と読み、ハングルで書き表しているけれど、これは「百聞不如一見」を平仮名で「ひゃくぶんふじょいっけん」と書くようなもので、丸覚えしていなければ、何のことやら解らないだろう。
「少年老い易く学成り難し」のような漢詩の一節も、「少年易老学難成(ソニョンイロハンナンソン)」と読んで、それをハングル表記している。
韓国には、和歌や俳句に相当するものも余り残っておらず、朝鮮の時代は、詩文学も漢詩が隆盛を極めていたらしい。
ところが、中国の人たちは、日本の漢詩を「変わった味がある」といって評価するのに、文法的なレベルの高い朝鮮の漢詩には、それほど興味を示さないというから、なんだか気の毒に思えてしまう。

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