メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ゼロリスクを求めてはいけない


 これは欧米での死者増加が顕著になる前の記事だけれど、「感染症にも放射能と同じリスクと経済性のトレードオフがあり、リスクをゼロにするには経済活動を全面的に止めるしかない」という指摘には納得が行く。実際、リスクをゼロにしようとすれば、車の運転も出来なくなってしまうはずだが、どういうわけかこちらが問題になることはない。しかし、コロナのリスクは何としてもゼロに近づけたくなるようだ。

一方、コロナの被害が遥かに大きい米国では、ロックダウンに抗議する市民らが経済の活性化を訴えてデモ行進したという。米国の市民は「襲われるリスク」を考えてピストルを携帯するくらいだから、社会生活に一定のリスクがあるのは当たり前だと思っているのだろう。欧米中心の国際秩序を守るために米国の軍人が戦死するとしても、そのリスクが限度を越えなければ容認してしまう。

現在の国際秩序の中では、日本も恩恵を受けている方に属するのではないかと思うけれど、この秩序を守るためにリスクを負わされたことが殆どなかったため、秩序(あるいは平和)はリスク無しに得られるという錯覚に陥ってしまった。これが「平和ボケ」と言われる状態ではないだろうか。

ところで、今、その欧米中心の国際秩序に対する脅威があるとすれば、それは中国であるかもしれない。ロシアにもイスラムにも脅威になれるほどの力はないだろう。米国は中国の力量を認め始めたからこそ、経済制裁を課すなどして中国を牽制してきた。ならば、今回のコロナ騒ぎを最大限に利用しようとしても何ら不思議ではないような気もする。この場合、「中国発生のコロナが世界に危機をもたらした」という世論が必要になるので、コロナがインフルエンザと同じでは困ってしまう。

これは殆ど妄想と思って頂いて良いけれど、この妄想の世界で日本はどういう態度を取ったら良いのだろう? 実のところ、文字通り中国を中心とする東洋の覇権が確立された新しい国際秩序の中で、日本はもっと繁栄するかもしれない。しかし、そういった「未知の世界」よりも現状の方が遥かに安心できる。それに「勝てば官軍、負ければ賊軍」の倣いからすれば、官軍は今でも米国であるような気がする・・・。もちろん妄想の世界の話だけれど・・・。