メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

競争社会~アメリカの銃社会

 私は21年ほど前、長距離トラックの運転手を1年ぐらいやってみただけで、『これは敵わん』と意気地なく敗退してしまった。あの仕事には、毎日3時間ぐらいの睡眠でも持ち堪える体力と(当時は)制限速度60キロの国道を120キロでぶっ飛ばす度胸が必要だと思った。
もっとも、運転手の場合、さっさと諦めて敗退しないと、過労死する前に事故で他者を殺めてしまう可能性があるから、あれで良かったに違いない。運転手に無理をさせるのは、やはり余り好ましくないだろう。
しかし、エリート層が、切磋琢磨して競い合わなくなった社会は、やがて衰退を迎えてしまうような気がする。
そもそも、“競争社会”と“過重労働”に対して、批判的な記事を書き連ねている方々も、厳しいジャーナリズムの世界で生き残るために、その多くが相当無理しながら頑張っているのではないかと思う。
“競争”も“いじめ”もない平和な社会は結構だけれど、競争に打ち勝とうとする闘争心がなければ、人類の進歩と発展はなかったかもしれない。
それこそ、人々の闘争心が弱まり、力を失った社会は、国際社会の中でいじめられるだけではないのか? 現に、中東の社会は、そうやって100年以上、いじめられ続けて来たような気がする。
また、今アメリカでは、悲惨な事件により“銃社会”の是非が問われているものの、アメリカが強い競争力を維持してきた要因の一つに、『いざとなれば銃を手にして戦う人々の強い意志』といったものはなかっただろうか?
そのために、多くの人たちが犠牲になってきたとはいえ、中東が支払わされた犠牲に比べれば、ものの数ではなかったはずである。

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