メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「士道」は「私立」の外を犯したが、「民主主義」は「私立」の内を腐らせる。

 西欧で最も早くから衰退が囁かれていたのは、英国じゃないかと思うけれど、意外にしぶとい。
ノーベル賞がどのくらい判断基準になるのか解らないが、2000~15年までの科学3賞受賞者は14人を数え、7人のドイツを大きく上回っている。基礎科学の分野は、それほど衰えていないらしい。
EU脱退が気になるとはいえ、国際社会での発言力は相変わらずであるような気もする。いったい何が英国を支えているのだろう? 王室と貴族階級の存在は、結構大きいのではないかと思うが、どうなんだろうか?
英国には、ジョン・メイジャーみたいな人が首相になれる一面もあるけれど、それだけになっていたら、屋台骨は揺らいでしまったかもしれない。伝統と能力主義が巧く調和して、屋台骨を支えてきたようにも見える。
日本も今はともかく戦前までは、英国と似ているところがあったのではないか。士族階級の中には、それなりの責任感を懐く人が少なくなかっただろう。
ところで、私の父の家は、戦前、浅草で料理屋を営んでいたそうだが、御先祖は明治になるまで、三河辺りの水呑百姓だったらしい。
父の家には、戦後の混乱期でも、料理屋の特権により白米が配給されていたため、父は白米しか食べたことがないと自慢げに話していたものの、その国家の恩に報いるといった殊勝な気持ちは全くなかったようである。
兵役は、太平洋戦争が始まる前に満州で済ませ、戦時中は再度の徴兵を逃れようとして、何処かの軍需工場に潜り込んでいたという。
父はそれさえも、「あんな戦争、最初から負けると思っていた」などと先見の明があったかの如く自慢げに話していた。御先祖が水呑百姓だから、「武士の魂」なんてものには全く縁がなかったのかもしれない。
そのお陰で、私も無事に生まれて来たわけだけれど、こんな人間ばかりだったら、日本はとっくに滅びていただろう。
「考えるヒント」という連作の中で、小林秀雄福沢諭吉について論じながら、以下のように書いている。
「『士道』は『私立』の外を犯したが、『民主主義』は『私立』の内を腐らせる。福沢は、この事に気付いていた日本最初の思想家である。」
私には、今でもこの一文が良く理解できたように思えないが、例えば、上記のような話は、これと少し関連があるかもしれない。うちは親子二代に亘って、「私立」の内を腐らせ続けている。
さて、ここでトルコの歴史を考えた場合、「士道」に当たるのは、やはり「イスラム」じゃないかと思うけれど、違うだろうか?
保守派の論客アヴニ・オズギュレル氏によれば、アタテュルクは、イスラム的な思想に対して改革を試みながら、最後までイスラム的な価値観を維持していたという。
オズギュレル氏は、2004年3月26日付けラディカル紙のコラムで、以下のように述べていた。

「アタテュルクの死後、政教分離が進められる中で反宗教的な態度が明らかになって来た。今日まで続く民衆に憤激をもたらした変革の全てが、アタテュルクの病状が悪化した時期に大統領となったイスメット・イノニュと首相の座に就いたジェラル・バヤルの政権により実現されたことは疑いもないだろう。」(拙訳)
オズギュレル氏はこう書いているが、何だかアタテュルクを守るために、全ての罪をイノニュとバヤルに負わせてしまったような感じがしないでもない。
しかし、これが事実であれば、アタテュルクは、「『イスラム』は『私立』の外を犯したが、『民主主義』は『私立』の内を腐らせる」という事に気付いていた最初の指導者であったのかもしれない。