メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アレヴィー派の犠牲祭

犠牲祭が始まった昨日の昼、私は家から歩いて30分ほどのところにあるアレヴィー派の礼拝所へ出掛けました。
犠牲祭を祝う人々で賑わう礼拝所の広い敷地の一角には、大きな仮設テントが設けられ、中では生贄にされる羊たちがひしめき、外の“臨時屠殺場”では、既に沢山の羊が“肉”となっていました。
その周囲は、買い求めた羊を屠殺する為に順番を待つ人たちでごった返しており、先週、ビュユック島で知り合ったアリさんも、婿の青年と一緒に、そこで順番を待っていました。
アリさんは、旧居の大家さん家族がビュユック島で借りている別宅のお隣さんで、昨年亡くなったマリアさんと懇意にしていたのです。先週、マリアさんの娘のスザンナさん、親しい友人だったアルメニア人のガービ小父さんと共に、私もビュユック島のアリさん宅に招かれ、魚料理とラク酒を御馳走になったばかりでした。
アリさんの本宅は、ビュユック島へ渡る船が頻繁に発着するボスタンジュにあるそうで、屠殺の順番を待ちながら、「イスタンブール市が指定している所はボスタンジュの近くにないのですか?」と尋ねたところ、「ありますが、私たちはこちらを選びました」と言います。
「市が指定している所はスンニー派の人たちが多いからですか?」
「そんなことはありません。私たちは同じイスラム教徒なんですよ。犠牲祭でも同じように生贄を切ります」。
アリさんはこう仰っていたけれど、スンニー派とアレヴィー派では、礼拝の仕方や断食を行なう期間も異なり、同じように実践している信仰上の儀礼は、この生贄の屠殺だけではないのかと思えるほどです。
暫くして、アリさんの順番が読み上げられると、係りの人がアリさんの羊を引っ張って、隣接する建物の半地下にあるガレージのような所へ降りて行き、私たちもその後を追いました。
そこは屋内に設けられた屠殺施設で、多くの人が見守る中、係員が祈りを捧げながら次々に羊を屠殺しています。他の係りに押さえられて順番を待つ羊たちは、目の前で首を落とされたお仲間がその脇を引き摺られて行く時も、暴れたりせずにじっとしているけれど、自分の運命には全く気がついていないのでしょうか。
施設内には、空調設備や血を洗い流す為のハイウォッシャーが用意されているとはいえ、閉ざされた狭い空間にはムッとするような匂いが立ちこめ、『夏場になったら大変だろうな』と思いました。
しかし、あの首が切られる瞬間は何度立ち会っても、気分が良いものではありません。首がなくなった羊の姿にも無残なものを感じます。それが、毛皮も剥がされてしまうと、未だ手足がついていても、それは肉屋さんで目にする“肉塊”となってしまい、なんの感慨も催さないから不思議です。アリさんの羊も、屠殺後、瞬く間に切り分けられ、美味しそうな“肉”になってしまいました。もっとも、その場では美味しそうに見えませんでしたが・・・。
ところで、ここ数年、私はこうやって犠牲祭の行事に立ち会わなかった為に気がつかなかったのですが、3年ほど前から、イスタンブールでは、屋外における生贄の屠殺が禁じられ、市が新たに作った“屋内の施設”等で屠殺することが義務付けられているそうです。それまでは、市が指定する空地で盛大にやっていたものの、今はそれも叶わぬことになりました。
まあ、うちの近所では、先週土曜日の本欄でお伝えした“生贄販売所”でも、一部の仮設テントを取り壊して、そこで屠殺していたし、この礼拝所まで歩いてくる間に、民家の庭先とかガレージのような所で、何度となく、その光景を目撃したばかりか、礼拝所でも、仮説テント脇の屋外で屠殺していたくらいだから、それほど厳密に禁じられているわけでもないのでしょう。アリさんは、「本来、周囲に配慮されすれば何処でも良いはずです」と話していました。
私が91年に初めてトルコへやって来た頃は、イズミルの街角でも当たり前にバッサリやっていたものの、確かにあれでは、見たくない人たちまで偶然にその光景を目の当たりにしてしまったかもしれません。でも、目を背けて通れば見なくても済むような状況であれば、屋外であっても構わないのではないかと私は思います。
昨年だったか、あるトルコの知識人は、新聞のコラムで犠牲祭をアナクロニズムと決め付け、「田舎の風習を都会に持ち込んでもらっては困る」と嘆いていました。こんな感覚が、日本の社会で屠殺に携わる人々が差別されて来た根底にもあるのではないかと見るのは考え過ぎでしょうか。もちろん、この知識人も「そういう人たちを差別するつもりなど全くない」と言うはずですが、こういった知識人たちは、屠殺を生業にしている人々と接点すら持っていないような気もします。