メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールでボーイ・ハント?

先月、トルコの新聞に掲載された「ノルウェイの森」の書評から、「・・・保守的で伝統を重んじる国と言えば、真っ先に思い浮かぶ日本で、しかも1968~9年に、人々は信じられないくらい気楽に性を営んでいる」という件を御紹介したけれど、こういう話は人によって受け取られ方が異なるかもしれません。

歌舞伎や落語に出て来る人々を見る限り、江戸の庶民は結構大らかに性を楽しんでいたようであるし、東京の下町で育った私は『昔からこんなもんじゃなかったのかなあ』なんて思ってしまいますが、江戸時代もお武家さんの社会はかなり厳格にやっていただろうし、今でもそういった厳しさが残っている御家庭はあるでしょう。

クズルック村の工場にいた頃、イタリアのミラノへ長期出張していたイスタンブール出身のエンジニアの青年をつかまえて、「君はなかなかプレイボーイだから、ミラノじゃ大いに楽しんでいたんだろう?」とからかってやったら、彼は真面目な顔して「いや、行く前は俺もそんなことを考えていたけれど、ミラノの女は意外と貞操にうるさいんだ。間違いなく、イスタンブール若い女たち以上だと思う。キスぐらいまでは直ぐなのに、その先は絶対に許さない。結構信心深いんだね。驚いたよ」と明らかにしていました。

こんな話を聞くと、性に関して宗教的なタブーのない日本は、やはりずっと大らかであるような気もします。イタリアの男たちも、トルコの男たちと同様に、自国のリゾート地へやってくるイギリスやドイツの女性を盛んに口説こうとするそうです。

そんな類いのトルコの男たちから、「なんと言っても腰が軽いのは日本とイギリスの女。イエローキャブにホワイトキャブだ」なんていう与太話も聞きました。まあ、自分たちが一方的に遊んでいるつもりでいて、遊ばれている可能性を殆ど考えていないのは、いささか間抜けな話であるかもしれません。

1991年、その年に韓国で出版された「エジプト・トルコを行く」という、若い韓国人女性が著した紀行本を紐解いたら、

「日本のガイドブックには、トルコへ日本人、特に、似たり寄ったりの少女たちが押し寄せる主な理由の一つが“ボーイ・ハント”にあると比較的率直に、そして非難を込めて書かれていた」なんていう記述があり、『おいおい?』と思いながら読み進めたところ、イスタンブールの光景として、

「派手な化粧に高価なトルコ製革コートを纏った日本の少女たちは、10人いれば10人全てがトルコ人青年の腕にもたれて街を闊歩していた」という状況が描かれ、続いて、

「視線が合ったりすると、男を連れて歩けない(?)私たちを哀れむような目付きで見るのだが、同じ韓国人であったら(韓国の女性たちが地球の反対側に来て、こういう珍妙な振る舞いするなんて考えて見たくもないが)、皆引っ張って行って海へ投げ込んでしまいたい気分だった」と感想が“比較的率直”に記されていました。

1993年に、日本からシベリア鉄道を経由してイスタンブールを訪れた、当時50代の今は亡き友人は、イスタンブールのそんな状況を評して、「すがすがしい気分だねえ」と喜んでいました。

「昔は、野郎ばかりが海外へ“女漁り”に出掛けたりして肩身の狭い思いをしたので、ホッとしたよ」と友人は話していたけれど、野郎の場合、今も昔も金払って済ませているだけだから、肩身の狭さは変わらないような気もします。

それから、さらに10年以上経った2005年だか6年、トルコを旅行中の30代後半と思しき韓国人女性に、「最近、韓国人女性の旅行者が凄く増えていますが、何か理由でもあるんですか?」と尋ねたら、「だって、トルコは美男子が多いじゃない」なんてぬけぬけと仰るものだから、思わずずっこけそうでした。

韓国の女性たちにも“ボーイ・ハント”するぐらいの余裕が生じたということでしょうか。