《2010年6月17日付けの記事を修正して再録》
韓国からベトナムとイランを経てトルコへ渡って来たキム・ドゥギョンさん。
キム・ドゥギョンさんのその後は、当時(2010年)、イスタンブールのタクシムにあった韓国料理店「カヤ・レストラン」でイ・ヨンヒさんから聞くことができた。
キム・ドゥギョンさんについて尋ねると、イ・ヨンヒさんは少し驚いたように「えっ、知らなかったの?」と私の表情を窺った。
「亡くなりましたよ。もう2年ぐらいになるんじゃないかしら?」
2007年頃に、私が息子さんと会ってから、未だいくらも経っていなかっただろう。はっきりしたことは解らないが、結局、日本へは行かずじまいだったのではないかと思う。私にもっと甲斐性があれば、日本へ御案内できたのに、とても残念でならなかった。
それから、イ・ヨンヒさんに、韓国の人たちがイランへ行った理由を訊いてみた。
「革命前のイランは、とても商売になったからでしょう。あの頃は、建設や土木工事のプロジェクトが多くて、現場労働者も韓国から大勢行ってましたよ。ほら、イズミルにいたキムチのおばあちゃん知らない?」
「キムチのおばあちゃん?」
「ハンさんの韓国料理屋にも良く来ていたのにね。会わなかったかしら。あのおばさん、トルコに来る前は、イランでキムチ売っていたのよ。それから、貴方も良く知っているでしょう? イスタンブールで旅行会社やっているユンさん。彼もイランからトルコへ来たの。イランでは韓国のテレビ番組のビデオを貸し出したりしていたそうですね。革命以降、出稼ぎの労働者たちはビデオ見るぐらいしか娯楽がなかったから」
70年代~80年代の韓国は、中東のアラブ諸国で建設工事のプロジェクトを受注すると、労働者も韓国から送り込んだため、出稼ぎを志願する韓国の男たちは、アラブ諸国が出すビザの発給を容易にしようと、こぞってイスラムに改宗したという話は聞いていたけれど、これは何もアラブ諸国に限った状況ではなかったようである。