メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ロマ(ジプシー)の人々

3月28日のラディカル紙によると、トルコでは、1986年より、各地域の人々を遺伝学的に調べるプロジェクトが進められており、その中間報告を見るならば、トルコ人の中には、日本人やロシア人、さらには、ドイツ人、アフリカ人と血縁関係のある者が存在しているのだそうです。

さすがは民族の十字路、東西南北から様々な血が流れ込んでいることが窺えます。

また、アナトリア中部のエルビスタン地方に居住する一部の人たちの血には、インドのパンジャブ地方の人々と同じ特徴のあることが検証されたのだとか。

インドでムガール帝国を築いたのがトルコ系の人たちであった史実を考えれば、これは、それほど突拍子もない話じゃないけれど、インドのパンジャブ地方というから、ふと「この話はロマ民族(ジプシー)と関係があるのかな?」なんてことを考えてしまいました。

ロマ民族は、千年ほど前にパンジャブ地方から流浪の旅へ出たという話を聞いた覚えがあったからです。

しかし、そのエルビスタン地方の人たちが、ロマ民族と関係があるのかどうかも解らないし、ロマ民族自体はトルコの至る所に住んでいます。

トルコ語では、ジプシーのことを「チンゲネ」と言い、かなり侮蔑的な響きの言葉であることは間違いありません。

実際、ロマの人たちの多くは、トルコでも社会の枠の外にいるような感じで、流しの楽団(といっても、笛や太鼓、バイオリン等からなる簡単な構成ですが)であるとか、ゴミ拾いのような仕事をして生活の糧を得ているようです。

野外で結婚式とかピクニックが催されていると、呼びもしないのに何処からともなく現れ、「ピーヒャラ、ピーヒャラ」とやってお金をせびり、渋れば、笛を耳のところまで近づけて、財布の紐をゆるめるまで「ピーヒャラ、ピーヒャラ」を止めようとしません。

今でも固有の言語を維持している人たちが残っているくらいで、余り他の民族とは交わらない所為か、殆どのロマ人が、アラブやアフリカ系等とは違う独特な浅黒い顔をしています。

ただ、ロマの人たちは、社会から疎外されているというより、彼らの方が社会を拒んでいるような感じです。

一目でそれと解る数人連れに道を尋ねたところ、向こうから「俺たちはロマなんだ」と名乗り、嬉しそうな様子でロマ語まで披露してくれたこともありました。

自分たちの文化に独特な誇りを持っているのでしょう。それだけに、ロマに生まれた人が、その集団を離れて社会に入っていくのは容易なことじゃないかもしれません。

トルコでは、民族的(エスニック的)な差別感が少なく、クルド人であろうと何であろうと、その出自を隠すようなことはないけれど、ロマ人は例外であるらしく、次のような話を聞いたことがあります。

ある市の助役のような地位にまで出世した人が、死ぬ間際になってから、妻へ「すまない、お前にずっと隠していたことがある」と言い、「実をいうと、私はジプシーだったのだ」と打ち明けたというのです。

これは、逆に、ロマの人が進んで社会に入ろうとすれば、就職や昇進で差別を受けることはない、という意味になるのかもしれないけれど、それでも、やはり悲哀を感じさせる話ではあります。

イズミル学生寮で賄いの仕事をしていたアイシェというおばさんは、独特な浅黒い風貌で、私も「ひょっとするとロマではないのか?」と思っていたくらいなのですが、このアイシェさんは、なかなかの喧し屋で、部屋を散らかしたままにしている寮生をこっぴどく怒鳴りつけたりすることもありました。

ある日、アイシェさんが例の如く寮生の一人に集中砲火を浴びせてから部屋を後にすると、それまで黙って砲火が過ぎるのを待っていたこの寮生、忌々しそうに「なんだあの婆、あの顔見ろよ、ジプシーじゃねえのか」と言い放ったのです。

しかし、一度このアイシェさんの娘さんが、「近くまで来たから」と言って、寮を訪ねて来たことがあり、この時、私は随分と驚かされました。

娘さんは真っ白い肌にブロンズの髪で純西洋風の顔立ち、おまけになかなか品の良い身なりの美人だったからです。

アイシェさんも朝出勤して来る時は、それなりの服装でしたが、仕事中はいつも田舎くさいモンペみたいなものを着ていたから、一層ジプシーっぽく見えてしまっていたのかもしれません。