メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ベオグラードからの便り!/新しいメールアドレス

先週の日曜日、夜中の3時にフェイスブックメッセンジャーがビービー鳴って起こされてしまった。鳴り終わってから発信者を確認したら、2005年にイスタンブールのマルマライの工事現場で知り合ったサッドゥルラーだった。サッドゥルラーという名はちょっと長いので短くして「サド」と呼んだりする。アブドゥルラーは「アポ」になる。

サドはマルマライの現場でユンボのオペとして働いていた。

以下の「アメレ(日雇い労働者)」という駄文にも記したように、一度ユンボでは取れない所にある大量の砂をスコップで片付けなければならなくなったところ、作業員の面々は「そんな作業はできない!」と日本人現場監督の指示を拒否した。

しょうがないので、現場通訳の私がスコップを手に作業を始めて暫くしたら、当時、私とアパートをシェアしていたオカンとハムザが先ずやってきて「マコト、お前はどいていろ!」と作業に取り掛かってくれたのに、サドはユンボの運転席でふんぞり返ったまま、「俺はユンボのオペだ!」となかなか動こうとしなかった。

私もその態度に少しムッとしてサドと言い争いになったけれど、他の面々もオカンとハムザを手伝い始めたら、ようやく観念したのか運転席から下りて来た。

しかし、最後まで最も頑張ってくれたのは他でもないサドだった。オカンとハムザの体力も強かったが、サドのそれは彼らを凌ぎ、もの凄い勢いでスコップを振り回していた。最初に少し言い争った所為もあって、その後、サドとはとても仲良くなったような気がする。

といっても、私が現場をやめると、それっきり会うことはなかったが、トルコに居た頃は、よく携帯に電話をかけてきた。外国の番号が表示されたので、「何処?」と訊いたら「アルジェリア」なんて答えが返ってきたこともある。トルコのゼネコンが施工している現場で、ユンボのオペを務めていたそうだ。

当時、トルコのゼネコンは、中東やバルカン諸国、ロシア等々で多くのプロジェクトを手掛けていて、現場作業員もトルコから引き連れて行ったりしていたのである。

先週は月曜日も休みだったので、夕方、トルコ時間の昼に合わせて、メッセンジャーでサドを呼び出したら、作業着姿のサドが画面に現れ、「おおっ! マコト元気か?!」などと言うものの、目線は斜め上の方を見据えている。どうやら、ユンボの運転席にいて作業の真っ最中らしい。何処の現場なのか訊くと、これがベオグラードなんだそうである。トルコのゼネコンは相変わらず、現地でユンボのオペを雇用したりしないのだろう。

サドは「時差を考えていなかったよ」と笑っていたが、こちらも仕事の邪魔をしたら悪いから、あまり長く話すこともできなかった。また、そのうちメッセンジャーで通話してみよう。

フェイスブックもなかなか便利である。トルコや韓国の友人たちとはこうして繋がっている。しかし、何かのアクシデントでアカウントが失われたら、それっきりになってしまう場合もある。これは何だか恐ろしい。

申し遅れたけれど、例えば、長年使って来た「makoton1@hotmail・・・」というメールアドレスにアクセスできなくなってしまった。

新しいメールアドレスは「makoton2@outlook.jp」だが、これをメールアドレスだけで繋がっていた人たちには伝える手立てがない。インターネットは便利なようで、なかなか危うい所があるかもしれない。

2005年、マルマライの現場で。サドはこの中にいないけれど・・・。