メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「善悪正邪を論じたがる風潮」

《2020年7月5日付けの記事を再録》

この2002年12月30日付けのインタビュー記事で、退役海軍中将のアッティラ・クヤット氏は、米国によるイラク戦争へトルコも参戦しなければならないと論じているけれど、米国が主張していた「化学兵器等の脅威」を認めていたわけではない。

それどころか、「戦争の原因はサダムでもなければ、化学兵器核兵器でもない。・・・これは、アメリカ国民の繁栄と安全が二度と脅かされることのないよう、中東から極東にかけての地図を書きかえるための戦争である」と述べているように、米国の掲げた大義名分が虚構であることを見通している。つまり、「トルコは戦略上、米国に加担せざるを得ない」と主張したのである。

ところが、トルコのAKP政権は米国に協力的な姿勢を見せていたものの、米軍の国内通過是非を問う議会票決は、AKP党内から離反者が出たために否決されてしまい、トルコは参戦どころか協力も反故にしてしまう。

その議会票決を前にして、AKP党首のエルドアン氏(当時、被選挙権を剥奪されていたので未だ首相には就任していない)は、野党CHPのバイカル党首と密かに話し合っていたというのだから、離反者の出現は計算済みであり、両氏は米国の要請に従わない方向で合意していた可能性もある。

しかし、そうであったとしても、それは「米国の大義名分の正邪」を論じるものではなかっただろう。バイカル氏が明らかにしたところによれば、密談でエルドアン氏は、「否決された場合、アメリカはどういう反応を示すだろうか、それは我々にどのような否定的影響をもたらすだろうか」と問うたそうである。やはり、戦略上、どのように対応すべきかを論じ合ったのだと思う。

結局、その後の経過を見るならば、協力を反故にしたトルコの判断は間違っていなかったようである。クヤット氏の言う「アメリカ国民の繁栄と安全が二度と脅かされることのないように書き換えられる地図」にはトルコも含まれていたと思われるからだ。

現在の「コロナ騒ぎ」においても、政権寄りジャーナリストのハサン・バスリ・ヤルチュン氏は、「史上最悪のパンデミック」という米国の主張に懐疑的な見方を示しながら、米国に同調する必要性を説いている。

これも、善悪正邪の如何に拘わらず、戦略上、どのように対応すべきであるかに焦点が絞られているのではないだろうか?

ところが、日本では未だに「イラクにおける化学兵器の有無」といった「米国の正義」にまつわる議論が繰り返されていたりする。もちろん、トルコでも善悪正邪を論じたがる人たちは少なからず見受けられるものの、日本のように、戦略に基づく議論が掻き消されてしまうほどではないと思う。

現在の日本では、米国の主張に「虚構」を認めた上で、「米国に同調しなければならない」などと論じたら、「嘘つきに加担するのか!」と声高に叫ぶ人たちが現れて大騒ぎになってしまうような気がする。

いったい我々日本人は、いつ頃からそれほどまでに「清く正しい」存在に成り果ててしまったのだろう? 世界の大半の人々が貧困の中で生活している現状を考えれば、平和と豊かさを享受している私たちが清く正しい存在であるとは、とても考えられそうにない。

何度も繰り返したくないが、戦後の日本は、戦前自ら手を下して行った「豊かさを得る為の所業」を米国に肩代わりさせているだけのように思える。手を汚さずに平和と豊かさが得られるのだから、これほど有難いものはないかもしれないけれど、これは今後も永遠に保証されているものだろうか?

ボスポラス海峡の夕暮れ(2013年の夏)

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