メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの社会の「分断と対立」

私はトルコで、まず1991年~94年まで3年間暮らし、それから4年間のブランクを経て1998年~2017年まで過ごした。

私が初めてトルコを訪れてから、既に30年が過ぎようとしている。この30年の間で最も大きな変化は、やはり産業化、そして都市化の進展ではなかったかと思う。

イスタンブールの人口は、1991年の約750万が2019年には1千550万とおよそ2倍に膨れ上がっている。その間、トルコ全域の人口増は1.4倍ほどだから、大都市への人口集中は相当進んでいるようだ。

よく言われている「イスラム化」という現象は、人口の流入と共に農村部のイスラム的な伝統が、かつては非常に西欧的だった大都市部へ持ち込まれて目立つようになったためだろう。

スカーフの着用や断食の実践は、トルコ全体から見た場合、特に増えたわけでもないらしい。断食の実践は、2017年までの10年間で明らかに減少の傾向を見せていたという。

しかし、この10年の間は、ラマダン月が夏季へ向かうことで実践が過酷になる時期と重なっている。これから冬季に向かって実践が楽になると、多少持ち直すことは有り得るかもしれない。

とはいえ、犠牲祭における「生贄の屠殺」といった季節と関わりのない教義の実践も明らかに減りつつある。しかも、これはイスラム的と言われたAKP政権の下でも続けられた規制の強化が要因の一つになっているだろう。

私が初めてトルコで暮らした1991年には、非常に西欧的なイズミルの街角でも、犠牲祭に羊がばっさりという光景を見ることができたけれど、AKP政権が所定の施設以外での屠殺を禁じてからは、都市部でそういった光景を目にすることはなくなった。

上記の駄文に出て来る保守的な家族の娘さんは、政教分離主義的な家族の子息と結婚したため、双方家族の軋轢を悲しみ「エルドアンは私たちの家族を引き裂いた」などと論じているが、アタテュルクの時代であれば、彼女ら夫婦は知り合う機会さえ得られなかったに違いない。

彼女は、都市化の波の中で、1992年、12歳ぐらいだった時に家族と共にイスタンブールへ移住して、名門のイスタンブール大学へ進み、ここで将来の伴侶と知り合う。そして、義務教育程度しか受けるチャンスのなかった両親とは異なる世界観を身に着けて行く。

こういった事例は、私の周辺で未だ他にいくらでも挙げることができる。政教分離主義的な軍人の娘さんと結婚した保守的な友人の子息等々・・・。彼も名門のアンカラ大学へ進んだことでその機会を得たのだ。

果たして、こういった夫婦たちの家族を「保守的な」とか「政教分離主義的な」と言って区分けすることが可能だろうか?

おそらく、都市化の進展により、「分断と対立」どころか、双方の垣根は低くなり融合がもたらされてしまったのではないかと思う。スンニー派とアレヴィー派の家族による「異なる宗派間の婚姻」も年々増える傾向にあるという。

また、30年前なら、「演劇や映画界で活動している人たちは例外なく政教分離主義者」といった業種による区分も成り立っていたけれど、こちらの垣根も急速に取り払われつつある。

2015年に2ケ月ほど行動を共にした映画製作スタッフの代表者は、「我々業界の飲酒率は100%」と豪語していたが、私はその中で乾杯の時にも全くビールに口を付けようとしない青年に気がついた。青年は「私たちの宗教で飲酒は禁じられています」と言うのである。

保守的な家族で育った青年は、子供の頃に観ていた日本のアニメに影響されて、この業界に入ったらしい。数か月前、彼が結婚したことをフェイスブックで知らされたけれど、新婦はスカーフなど被っていないモダンな雰囲気の女性だった。同じ業界の人だろうか?

「分断と対立」や「イスラム化」などが取り沙汰されているのは、そういったセンセーショナルな見出しに興味を示す人たちが多いからなのかもしれない。

実際のところ、近年、トルコで生じている変化は、所謂「先進国」が産業化・都市化の中で経験して来たものと殆ど変わらないのではないかと思う。産業化のお陰で世間は忙しくなり、「先進国」と同様、人々は年々ドライになって来たような気もする。