メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

脱イスラムという信仰?

クーデター事件以来、脱イスラム的な政教分離主義者の中からは、ギュレン教団に限らず、全ての教団を根絶すべきだという声が上がっている。

ごく少数派の主張に過ぎず、あまり気にする必要はないかもしれないが、ここぞとばかりに、「やはり宗教は恐ろしい」と勢いづいた左派の人たちも少なくない。

ギュレン教団を排除して、欠員が生じた軍には、かつてエルゲネコン等のクーデター計画事件により放逐された軍人を戻せば良いという意見は、かなり広範囲に見られる。

この軍人たちの一部は、実際、AKP政権の打倒計画に関与していた疑いもある。AKP政権としては、気分が良かろうはずもなさそうだ。

AKP政権は、近年、飛躍的に教育水準が向上した“保守的・イスラム的な新興中流層”によって支えられているものの、教育や法律関係、マスコミといった知識産業に従事している人たちには、今でも左派が多いのではないかと思う。

そもそも、AKP政権は、当初、こういった知識産業から余り協力を得られなかったため、ギュレン教団に頼らざるを得なかったと言われている。

これを機に左派は往時の力を取り戻そうとしているのだろうか? それでまた政教分離主義とイスラムの対立軸が蘇れば、協調ムードも台無しになってしまう。

だから、教団根絶といった過激な意見は勘弁してもらいたい。共和国革命の中で、各教団は閉鎖されたが、実のところ、装いを改めてだけで活動を続け、ギュレン教団のような秘匿性の高い巨大組織が出現した。根絶しようとすれば、地下へ潜るだけに違いない。

ソビエトでさえ、70年かけて、宗教を根絶させることはできなかった。冷戦中、西側諸国では、防共政策の中で却って宗教や教団の活動が盛んになって行く。ギュレン教団もその一つである。

冷戦が終わり、脱イスラム的な理想も、大分色あせて来たけれど、今でも、これに固執している人たちにとっては、まるで「脱イスラム」が宗教になってしまったかのようだ。

この20年ぐらいで、産業化と都市化の進展に伴い、イスラム的な保守層においても、一層、多様化と世俗化は進んでいると思う。世俗化を拒んでいるのは、一部のイスラム主義者と「脱イスラム教徒」の人たちであるかもしれない。