メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

枯木の側で生木も燃える?

ギュレン教団の摘発・排除は、教団の秘匿性のため、なかなか難航しているうえ、杜撰なやり方で様々な問題が現れているそうだ。

密告にもとづいて、いきなり職を解いたり、教団系の資本が1%入っていると言って、企業の活動を停止させたりして、無関係な人たちにも災いが及んでいるらしい。

ユルドゥルム首相も慌てて、「罪のない人を巻き込む」という意味で、「乾の側で湿も燃える」といった表現を用いながら、慎重を期すよう訴えた。

この表現は、「枯木の側で生木も燃える」と訳せるかもしれないが、既に、枯木(罪人)と共に、相当な生木(罪のない人)も燃えているのではないかと言われている。

ある識者によれば、現在はギュレン教団系の司法による“でっちあげ”とされている「エルゲネコン事件」など、かつてのクーデター計画事件も、教団が無関係な軍人まで多数処分しようとしたために、全てが“でっちあげ”になってしまったのである。

その結果、AKP政権に対するクーデターを実際に計画していた軍人も無罪放免となり、事件は闇に葬られる。「生木が燃えているのに気付いて、水をかけたら、枯木も救われた」という風に例えながら、同じ轍を踏んではならないとこの識者は警告していた。

また、7月15日のクーデター事件の捜査だけに的を絞り、軍や警察はともかく、教育機関等、その他の機構における摘発・排除は、後の第二段階で進めるべきだと論じる識者も少なくない。

しかし、政府としては、おそらく非常事態宣言の期間内に、手っ取り早く片付けてしまいたいのだろう。

教育機関では、ギュレン教団と全く関係のない左派教員の排除も行われているらしい。CHPなど左派から、猛烈な反発の声が上がっていて、このままでは与野協調ムードもぶっ飛んでしまいそうな勢いである。

左派教員の排除が意図的に行われている疑いは無きにしも非ずだ。トルコの教育機関には、全般的に左派が多かったため、AKP政権は、当初、ギュレン教団の学校を支援するばかりでなく、教団系の教員が公立学校へ浸透するのを積極的に後押ししていたのではないかと囁かれている。

だから、教団系の教員だけを排除したのでは、左派の多い元のバランスへ戻ってしまう可能性がある。これは司法や軍においても同じことが言えるかもしれない。

軍の場合は、MHPに近い、もともと民族主義的な右派の軍人もいたそうだが、やはり教員には左派がかなり多かったと思う。

5年ほど前、友人が赴任していたハタイ県の初等教育校を訪れたところ、宗教科の先生は、教員室の中で何だか浮いた存在になっていた。その若い先生は、無信仰を標榜する友人から小馬鹿にされても、申しわけなさそうに微笑むだけで可哀そうなくらいだった。

もちろん、AKP政権が、ギュレン教団を排除した後のバランスを保とうとして、左派まで排除しているのであれば、これは確かに問題である。

しかし、左派の人たちが、人口の65%~70%近くを占めると思われる“信仰に篤い保守層”を見下しながら、「脱イスラム=近代化」といった自分たちの流儀を無理に押し付けようとして来なければ、ギュレン教団の隆盛はおろか、AKPが政権に就くこともなかったのではないだろうか?

91~92年、左派に対して遥かに融和的だったオザル大統領でさえ、左派からは「信心深い反動勢力」としてボロかすに貶されていた。

こんな仮定を試みても始まらないが、当時、左派の人たちがオザル大統領を支持して、保守的な祖国党政権が何の波乱もなく続いていたら、「大乱世の政治家エルドアン」は、今頃カスムパシャ区の区長さんぐらいで燻ぶっていたかもしれない。

この数年、保守的な人々が掲げているスローガンに、「彼らはメンデレス首相を吊るした、オザルを毒殺した、しかし、エルドアンには手を出させるものか!」というのがある。

保守政権のメンデレス首相は、60年の軍事クーデターで絞首刑になった。オザル大統領の急死が、毒殺だったのかどうかは解らないが、左派知識人による大統領への誹謗中傷を人々は「今に見ておれ!」と歯軋りしながら聞いていただろう。

こんな人々の思いが、エルドアンとAKPを政権に押し上げたと言っても過言ではないような気がする。そして、7月15日のクーデターで、彼らは命を懸けて戦車に立ち向かい、見事にエルドアンを守ったのである。

願わくは、政権も左派の人たちも、過去を振り返って、お互いの過ちを認め合いながら、協調ムードを断ち切らないように努めてもらいたいものだと思う。