メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールのジャパン・フェスティバル

94年の夏、イスタンブールで“ジャパン・フェスティバル”が開催された。狂言に日本舞踊など、伝統芸能や歌謡の公演もあったが、私はその公演会場で、準備期間中からアルバイトしていた。
狂言大蔵流という流派で、公演された方たちの名前までは思い出せなかったが、ネットで調べてみたところ、大藏基誠という狂言師のプロフィールの海外公演記録に、“1994 Turkey(Istanbul)”と記されている。
79年生まれというから、どうやら、一座の最若手だった少年が、この大藏基誠さんらしい。当時、彼には、まず驚かされた。何処で習って来たのか、トルコ語をかなり知っていたからである。
狂言の舞台では、トルコの子供たちにも演じてもらう場面があり、万が一、通訳等の手配がつかない場合、彼が子供たちに演技の要領を伝えるつもりだったそうだ。たった2回の舞台の為に、なんという執念なのかと感嘆した。
一座は、前日から公演会場に来て、何度も稽古を繰り返していたけれど、稽古を舞台下から指導していた座長さんが、一度、手本を見せようと舞台へ飛び上がったことがある。この時も驚かされた。腰ぐらいの高さの舞台へ静かに近づくと、音もなく、まるで忍者のようにスッと飛んだ。凄い跳躍力だった。
もちろん公演は大成功で、演じた子供たちの親御さんなどは、それこそ気も狂わんばかりに喜んでいた。
日本舞踊を演じられた花柳流の家元は、おそらく三代目花柳壽輔さんではなかったかと思うが、残念なことに、2007年に亡くなられたようである。
この方の舞台でも、その芸にかける情熱と、周囲のスタッフへの気配りに、私は身も震えんばかりに感動した。
公演前日の晩に、海部元首相主催の夕食会だか何だかあって、家元にも参加の是非をお尋ねしたところ、まだ稽古があるから出席できないと大変恐縮された様子だった。そして、会場に残って入念な稽古を繰り返されていた。
しかし、なんと恐ろしいことに、当日は、プログラム上の手違いから、公演の時間がどんどんずれ込んでしまい、花柳流の舞台は、予定より2時間余りも遅くなってしまったのである。
遅延が明らかになり、控え室へ御報告に伺うと、家元は予定通りに重い衣装を着けられ、待機されていたけれど、嫌な顔一つ見せず、にこやかに「もう準備できていますから、いつでも舞台に立てます。ご心配なく」と仰る。それから、さらに遅延時間が増えるたびに、何度も御報告に上がったが、いつもお答えは同じだった。
結局、夜の9時ぐらいになって舞台が始まった頃は、観客席も半分ぐらいしか埋まっていない状態だった。その中で入魂の舞台を演じられたのち、トルコ人のスタッフとも一人一人握手を交わされ、礼を述べてから会場を後にされた。今、思い出しながら書いていても、目頭が熱くなってしまう光景だった。
実を言えば、私は狂言も日本舞踊も全く解っていないけれど、全身から伝わって来るような気迫だけで、とにかく圧倒されてしまった。日本の伝統芸能は凄いと思う。

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