メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

西欧化の終わり

91年、イズミルで知り合ったトルコ人の学生、今から思えば、彼などは“白いトルコ人”の権化のような存在だったかもしれない。
普通の中流家庭に育った普通の大学生で、特に優秀というわけでもなかったと思うけれど、初期の共和国の方針に忠実な“西欧志向”が際立っていた。そればかりか、彼は真っ白い肌に青い目の“トルコ人”で、その“白さ”にも充分重きを置いていたような気がする。
最初に会った時、彼はしげしげと私の顔を見ながら、「日本人は黄色人種と聞いていたが、貴方の肌は黄色くない」と言ったものだ。『おいおい黄色かったら“黄疸”だよ』と心中のけぞってしまった。
また、「トルコには黒人もいる」と顔を顰めるので、何事かと思ったら、どうやら“トルコ人”の中にネグロイドの特徴を持つ人がいることに我慢がならなかったらしい。
イズミルでは、アフリカから移住して来た人たちの子孫なのか、“ネグロイド風のトルコ人”も少数ながら目にすることがある。例えば、トルコ語学校の英語部門に来ていたアリという大学生は、オバマさんぐらいの黒さだけれど、髪も縮れていてネグロイドの特徴が明らかだった。
アリに、「トルコ人と日本人は、同じ中央アジアから出た兄弟だ」みたいなことを言われた時は、私も密かに『いやあ、君の先祖は中央アジアじゃなくて、アフリカから来たんじゃないのか?』と訝しげに思ったが、前述の学生だったら、『君が“トルコ人”のはずはない!』と立腹したかもしれない。しかし、その青い目の彼も“中央アジア”から来たようには見えなかった・・・。
もちろん、これは極めて特殊な例で、通常、トルコの人たちに“人種差別的な感覚”は殆ど見られない。その学生も私を差別しようとしたわけじゃない。それどころか、ある意味“親日的”な感じがしたくらいだ。
コーカソイドの中で、トルコ人ほど差別感覚の少ない人たちはいない」と断言した韓国人の友人もいる。彼によれば、比較的差別の少ない南米でも、肌の色は問題になったそうだ。
“白い東洋人”の我々日本人も、かつて南アフリカで“名誉白人”などと呼ばれて喜んでいた。黄色人種であるのは“不名誉”なんだろうか?
いつだったか、“YouTube”で“TVタックル”を観たら、北海道の温泉でロシア人の入浴が拒否された事件が取り上げられていて、スタジオに招かれた外国人の中の欧米系白人たちは、これが“人種差別”であるとして強く非難しようとした。
日本人の出演者たちは、これに対して、「差別の意図はなかった」と弁明に努めていたが、そこへ中国人の参加者が立ち上がり、欧米の人たちを指差しながら、「貴方たちは長い間有色人種を差別して来た。これで差別される痛みが解っただろう。もう差別するのは止めなさい!」と舌鋒鋭く言い放ち、アフリカ人参加者たちの拍手喝采を浴びていた。
この場面を観て、中国が第3世界の盟主であり続けた理由が解るような気がした。
ところで、昨日紹介した「西欧化の問題はどのように終わったか?」という記事で、シュクル・ハニオウル氏は、「西欧のスタンダードが世界中に行き渡り、何処もかしこも“西欧”になったが、“純粋な西欧”と言える存在も無くなってしまった」というような説明を試みていた。
アメリカはもとより、ヨーロッパの各国も多民族・多宗教の社会になりつつある。トルコに黒人がいるのを嫌がった学生は、オバマ大統領の誕生に何を感じただろうか?
“白い東洋人”の“白い”が意味していたステータスは失われたけれど、同時に“東洋人”というカテゴリーもそれほど意味を成さなくなっているかもしれない。“第3世界”もそうだろう。世界は狭くなった。考えてみれば、間に太平洋があるとはいえ、アメリカも隣人に違いない。まあ、こちらも厄介な隣人ではあるが・・・。
隣近所の枠をさらに広げてトルコや他のヨーロッパ各国も加えたら、近所付き合いは、もう少し楽になりそうだ。こちらはそれほど厄介じゃないと思う。

merhaba-ajansi.hatenablog.com