メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

美食の喜びも3000円の壁?

この「私が乗っていた高級車とは?」という駄文にも記したように、私は自動車を所有していたことがないし、今後も買いたいとは思わない。

仮に「一億円宝くじ」が当たったとしても車は買わない。というより、同様に高額なもので買いたいものなど何一つ思い浮かばない。衣類や装飾品、骨董品のようなものにも全く興味がない。

ずっと貧乏暮らしだった所為かもしれないが、若い頃からお金があっても買わなかったと思う。身嗜みに気を配るのは煩わしいと感じていたくらいだ。

おそらく、「一億円宝くじ」が当たったら、使いどころに困ってしまう。

方々を旅してみたいという欲求はあるが、これも範囲が限られている。それは国内、トルコ、韓国の各地ぐらいで、言葉の通じない所には余り行きたいとも思わない。

トルコでは、仕事の地方出張で「ヒルトンホテル」などに泊まらされたこともあったけれど、部屋が広いのに驚いて良く眠れなかった。カプセルホテルの方がよっぽどましだと思った。これは貧乏性の所為だろう。でも、寝るだけならカプセルとは言わずともビジネスホテルで充分である。だから、各地を旅して歩いても一億円はなかなか使い切らないような気がする。

後は飲食だが、おそらく、私の贅沢に対する欲求で最も強いのは「美食」じゃないだろうか? やはり美味しいものは食べたくなる。食欲と性欲は人間の根源的な欲望に違いない。

しかし、トルコではかなり高級なレストランで御馳走になったこともあるし、ワインならウン万円のものを御相伴に預かったこともあるが、特に感動もしなかった。

例えば、ワインの場合、いつも700~800円の廉価品を飲んでいて、何かの機会に3000円ぐらいの奴を飲まされたりすると、『これは確かに美味い!』と大いに感動したりしたけれど、それ以上になっても3000円の奴との差が良く解らないのである。これは貧乏舌の所為だろうか?

料理もそうである。1000円と3000円の差は解ることも多いが、もっと高い高級な店で食べても、いまいちその味の違いが解らない。解るのは、店内の調度品が立派になるのと、店員のサービスがやたらに良くなることぐらいだが、それで嬉しいと感じたこともない。かえって煩わしかったり、場合によっては気分が悪くなったりした。これは高級ホテルでも同様である。

どうやら、私の味覚等は、3000円ぐらいで壁に突き当たってしまうらしい。まあ、「宝くじ」など当たるはずもないから、これでちょうど良いのかもしれない。

*この「ソウルの新世界百貨店」で従業員の皆さんから深々とお辞儀された時も余り良い感じはしなかった。

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