メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン大統領も独裁者と言われているけれど・・・

プーチン大統領と共に、エルドアン大統領も欧米で「独裁者」と言われてきたけれど、ソビエトの時代からKGBという国家機構の中枢を歩んできたプーチン氏と異なり、エルドアン氏は国家体制から抑圧されていた「イスラム主義運動」に加わって頭角を現したアウトサイダーだった。

2002年、AKPが選挙に勝って政権を得た段階では、宗教扇動罪により被選挙権を剥奪されていたため、立候補すら出来ず、翌年、ようやく被選挙権を回復して、補欠選挙議席を得たくらいである。

しかし、この数年来、エルドアン氏も当初より国家体制とは結構巧くやっていたのではないかという話が色々出て来ている。

例えば、かつてエルドアン首相の内閣で一時期文化観光相を務めていたエルカン・ムムジュ氏は、2019年、テレビ番組のインタビューに答えて、2007年の段階でエルドアン氏は自身が大統領になるために軍とも了解し合っていたが、それをギュル氏とアルンチ氏が妨げ、結局、ギュル氏が大統領になったと述べていた。

ムムジュ氏は、その後も他の番組に出演して、「この事実をエルドアン自身が明らかにしなければならないけれど、ギュル氏らに妨げられたというのは『強力なリーダー』のイメージを損なうため言えないのだろう」などと語っていたそうだが、問題はギュル氏らに妨げられたことではなく、軍と了解し合っていた点にあるのではないかと思う。

なぜなら、エルドアン大統領は「軍を中心とする国家体制と対立しながら民主化を実現させたヒーロー」というように喧伝されてきたからだ。

どうやら、当時、軍高官の多くもイスラム的な保守層の現実を認めて一定の民主化を図り、クルド人民衆とも和解しなければならないと考えていたため、エルドアン氏には理解を見せていたようである。

軍が警戒していたのは、親欧米のギュル氏らの方であったかもしれない。ギュル氏はEU加盟のために欧米の要求通りに民主化を図るような姿勢を見せていたし、米国の出先機関と目されていたギュレン教団との関連も疑われていた。

ところで、以下のサバー紙のマフムート・オヴュル氏によれば、昨年の末頃、エルカン・ムムジュ氏はエルドアン大統領に呼ばれて3時間ほど話し合っていたという。それがムムジュ氏の政界復帰への布石になるのかどうかは未だなんとも言えないようだけれど、この辺りにも柔軟なエルドアン大統領らしさが現れていると思う。