メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン大統領に対する評価

トルコの報道によれば、ロシアのプーチン大統領は、17日、恒例の年末記者会見で、「エルドアン大統領とは意見の対立もあるが、彼は言を守る男だ。トルコの国益に適うと思ったことは最後までやり通す」と語ったそうである。

私はこれを読んで論語に出て来る話を思い出してしまった。

弟子に「士」を問われた孔子は、「己を行うに恥あり、四方に使いして君命を辱めざるは、士と謂うべし」と答え、「その次の士」を問われると、「宗族孝を称し、郷党弟を称す」、つまり親孝行で郷里の先輩を敬う人であると言い、その下の士は、「言必ず信、行必ず果、硜硜然たる小人なるかな」であり、要するに「言を必ず守り、行いは必ず果たす頑固な役人」と評したというのである。

そのため、中国で「言必ず信、行必ず果」は政治家にとって必ずしも誉め言葉にはならないらしい。

もっとも、プーチン大統領論語のこの話を知っていたのかどうかは解らない。

しかし、プーチン大統領は、その後に「これは対応を推測する上で手掛かりになる。相手がどういう人なのか解るのは重要だ」と続けたという。これを「単純で応じやすい相手」と解釈するのは可能であるかもしれない。

そういえば、エルドアン大統領を嫌うトルコのジャーナリスト、エロル・ミュテルジムレル氏は、「周囲に影響されやすい単純な人」とこきおろしていた。

以下のエルカン・ムムジュ氏は、エルドアン大統領とギュル前大統領らを比べて、「エルドアンは正しい時も間違っている時も、そこにいるのはエルドアン自身である。もう一方の人たちは、その辺りがどうだか解らない」とエルドアン大統領を評価していた。

ところが、故ユルマズ元首相との比較では、「ユルマズは豊かな見識を備えていたけれど、勇気がなかった。エルドアンに勇気はあるものの、それを支える見識が充分ではない」と述べている。

しかし、エルドアン大統領が、「宗族孝を称し、郷党弟を称す」と言えるのも確かじゃないかと思う。長幼の序を弁え、年長者に敬意を表しているのは、様々な場面からうかがうことができる。

また、2003年のイラク戦争で米国への協力を反故にしたのが、バイカル氏との密約によるものであれば、あまり「言必ず信」ではなかったことになる。

いずれにせよ、エルドアン大統領は、なかなか好ましい人柄であるように思える。

私は10年ほど前まで、「イスラム主義」と「政教分離主義」の論争に弱い頭を悩ませながら、エルドアン氏のイスラム的な傾向を懸念していたけれど、イスタンブール市長の時代から人柄の面では「悪くない」と感じていた。

何より庶民的で弁舌が爽やかだった。家庭では、良き夫、良き父であるような印象も得られた。そもそも「単純な人」にそれほど悪い人はいないだろう。

今、エルドアン大統領を嫌っている人たちが、果たして何を嫌っているのか良く解らない。論理的に政策云々を言うのであれば、10年前のエルドアン首相が嫌いだった人たちは、今、野党を嫌っていなければならないような気もする。

「生理的に」と言うのであれば、そういうのは政教分離主義者の人たちが嫌う「宗教的な感情」と大して変わらないと思う。

エルドアン大統領が来たというレストランには、決して入りたくない」と嫌がる人もいるらしい。エルドアンの座った席に座りたくないからだそうである。

それは、ひと頃のイスラム主義者たちが、「市バスで、女性が座って未だその温もりが残っているような席には座りたくない」などと騒いでいたのと何処が違うのだろう?