メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

産廃屋の思い出/(3)土方の親方

《2008年7月の記事を書き直して再録》

今はどうなっているのか解らないけれど、私が産廃屋にいた頃は、建設現場への人夫出しは大概ヤクザ会社がやっていた。こういう会社は、現場の土方仕事を請け負っていて、要するに現場の何でも屋さんである。

当時の現場では、工事を受注した総合建設会社が「組」と呼ばれ、この「組」が様々な専門業者に仕事をやらせて工事を進めていた。基礎工事から始まって建ち上がったビルの内装に至るまで、業者が次々と入れ替わって行く中で、この土方会社が現場を離れることはなかった。

現場内を片付けたりゴミやガラを出したりするのも土方の仕事だから、私たち産廃屋は現場へ行くと、「組」の監督か土方の親方から指示を受けることになる。

特に上得意の「組」だった〇〇建設の場合、殆どの現場でイセ興業(仮名)という土方会社がガラ出し作業を仕切っていて、私もイセの親方たちには随分世話になった。

夕方、現場の作業が終る頃、組の監督が親方に翌日の人員について確認しているところへ何度か居合わせたことがあったけれど、「明日は何名ですか?」という監督の問いに、親方が、「何処そこの片付けに6人、何処そこには4人、・・・・・都合20人」といったように答えると、「はい了解」で終ってしまい、「本当にそれだけ必要なの?」なんて野暮なことを訊く監督はいなかった。

しかし、親方が連れて来る20人の内、重機や工具を使いこなせる職人はせいぜい5~6人で、体力的にちゃんと土方仕事の出来るのが7~8人、後は単なる人数合わせとしか思えないようなことも良くあった。

聞いたところによると、イセ興業は人夫出しの飯場にこういった要員を住まわせて働かせ、「組」から一人頭いくらという計算で受け取る人夫代をかなりピン撥ねしていたという。

そういった人夫さんたちの実態だが、ある日、都内の~~通り沿いにあった〇〇建設の現場へ行くと、イセの親方が出て来て、「おう、今日はここに出してあるガラを全部積んで行ってくれよ。手を5人もつけてやるからな」と言い、「さあ、皆、運転手を手伝って、ここにあるヤツをダンプへ積み込んでくれ」と人夫さんたちを呼んだのは良いけれど、「へへーい」とぞろぞろ出て来たのは、『お待ちかね“白浪五人男”の登場』なんてものからはほど遠い、ロートル五人男か、はたまたモーロク五人男か、といった風情の御老人たちである。

積み込むといっても、ガラ袋をダンプの荷台まで持ち上げることが出来ないような爺様もいるから、そのお二人には荷台へ上がってもらい、ガラ袋を開けるようにお願いした。

そうやって積み込みを開始したのは良かったものの、直ぐに荷台の袋を開ける作業が追いつかなくなったので、残りのお三方にも荷台へ上がってもらい、私が一人でどんどんガラ袋を放り上げると、それでも追いつかず、袋が溜まると私も荷台に上がって袋を開けながら、結局、山のように積み上げて全部片付いたから、荷台の皆さんに声を掛けたところ、4名はなんとかキャビンの脇についている梯子を伝わって降りて来たけれど、一人の爺様は高い所が苦手なのか、ガラ山の上にへばり付いたままになってしまった。

ちょうどそこへ様子を見に来た親方。へばり付いている爺様を発見すると、「なんでお前がそんな所へ上がっているんだ? おい皆、手伝って降ろしてやれ」と呆れたような顔をしたので、「すみません。私が上がるように頼んだんですが・・・」と一応自己申告したら、親方も苦笑いするばかりだった。

まあ、こういう爺様たちは、「組」が支給している人夫代に見合った仕事をしているわけではないから、ピン撥ねされているのを承知で、別に不満も持ってなかったようだ。

他の現場で、ある老人から、「親方のオオヤマさんね。おっかない顔しているけれど、本当に優しい人なんだ。飯場の食事が不味かったりすると、私らの為にわざわざ何か作ってくれたりするんだよ」というような話を聞いたこともある。

土方の親方には、統率力や調整力が求められるし、現場以外の色々な世界を渡り歩いて来たりして、なかなか魅力的な人物が多かったと思う。

ピン撥ねは、「組」にしてみれば、いい迷惑だろうけれど、土方会社はいざとなれば幾らでも人夫を集めてくれるし、噂によれば、工事に因縁をつけてくる他のヤクザから現場を守る役割も果たしていたそうで、まあ、持ちつ持たれつということだったのかもしれない。

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